何度も紹介している もぐら氏の『県民性丸わかり! ご当地あるあるワイド SHOW』から。正確には、雑誌への投稿をもぐら氏がマンガにしている、という形態。
自分でも気づかなかったのだが、発行されたのは8月でもう4か月近く前。ちょっと間の抜けたタイミングになってしまったので、いつもなら長期連載になるところ、方言と関係ない地域ネタはスキップして短めに。
まずは、学校もしくは子供たちの方言。
福岡の小学生が体育の授業で、立ち上がったり、体操用の列を作る時に「
やっ!」という掛け声を発するのは有名な話。漫画では、福岡から東京に引っ越したとき、一人だけ「
やっ!」と言ってしまって恥ずかしい思いをした、というのが紹介されているが、逆もあるんじゃないだろうか。周りがいきなり叫ぶので、何が起こったのかと思った、てなことがありそうだが。
福井では、ノートを最後まで使い切ることを「
つまる」というらしい。雰囲気はわかる。
群馬では運動会の場合、赤白ではなく
赤城団・
榛名団・
妙義団と分けて対抗させる。
たぶん、そもそもクラス対抗ではない、という解説が必要。生徒をクラスとは関係なく分けるわけだ。それに山の名前がつく。分類は「組」「班」ではなく「団」、とユニークさ満載。三つで足りない場合は、浅間・白根なども起用するらしい。
調べてみてわかったが、当然、色分けをする。それぞれが何色か、というところで議論があるようなのだ。赤城や白根は名前に色があるからいいとして、榛名や妙義はそうではないから、「青だ」「いや緑だ」という話になるんだとか。
前にも書いたかもしれないが、俺の高校もクラス対抗ではなかった。入学時に色が決められて、分類は「
雲隊」である。俺の所属は「
白雲隊 (はくうんたい)」で、これは三年間変わらない。
「
うらおもて」はグループを二つに分けるときの決定方法。掌を出すか、手の甲を出すかで分ける。
俺が小学生の時は「石と紙」だった。要はグーとパー。出したときに (ほぼ) 同数ならそこで決定だが、そうでない場合は、「紙」だけ抜けて、残ったメンバーでもう一度「石と紙」を繰り返す、というやりかたもあったような気がする。
なお、メロディーはこんな感じ。
山梨と言えば武田信玄。
郷土のヒーローだから、「信玄」なんて呼び捨てにせず「信玄公」と呼ぶ人もいる。そういう環境で育ったため「武田信玄公」がフルネームだと思ってしまった子が、歴史のテストで「武田信玄公」と書いたところ、バツを食らうどころか花まるだった、という話。なんか微笑ましい。
プチ特集みたいになっているのが僧侶の呼び方。
全国的に「
おっさん」「
おっしゃん」が多いようだが、「
ごぼさん」というのもある由。
前者は「和尚さん」ではないかと思う。イントネーションも「お」が高いようで、「和尚さん」と共通する。後者は「御坊さん」か。
京都山科のお寺のホームページでこの辺の
解説をしていっる。これによれば、「
おっさん」は「お上人さん」の変形である可能性もあるとのこと。
「和尚」はすべての流派で使うわけじゃないんだね。ということは、流派によって浸透している地域が違うから、それを反映している可能性もあるのか。
ちなみにキリスト教だと、プロテスタントでは「牧師」、カトリックでは「神父」。
挨拶。
長野ないし静岡の一部では、食事を終えたときに「ごちそうさまでした」ではなく「
いただきました」と言うらしい。そういう習慣がない地域の感覚では、それは単なる事実の描写だ、って感じがするね。
挨拶は形式なので、文字通りに解釈するとすれ違う、という例では、大阪の「
あいそなし」があった。
客を送り出すときに言うのだが、これが「当方に愛想がなくて申し訳ありません」というような長めの表現が短くなったもの、と知らないと、「は?」「dis ってる?」と思ってしまいかねない。
あと「いってらっしゃい」に相当する「
おはようお帰り」を、「おはよう」と「お帰り」に分解してしまい、朝会ったばっかりなのにもう「お帰りなさい」と言われたと思って困惑した、という話もあった。
一番驚いたのは山口の「
ご心配です」かなぁ。「ご苦労様」「お疲れ様」程度の意味だそうで、プラスにしろマイナスにしろ積極的な意味はないらしい。ネットでは、そう言われて「失礼だ」と感じた人の記事が見られる。
方言ネタしか扱ってないのに一回に収まらない。後編に続く。
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