Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜



第969夜

おべんとうの時間みたび (前)



 優良書籍「おべんとうの時間」の第三巻が出たので早速。いや、「早速」っても出てから二か月以上経ってるけど。

 和歌山で、棕櫚の木を育てている人。
 昔、父親が麺のランニングシャツを買ってきてくれた時の話。
 そのシャツを「じばん」と呼んでいる。
 おそらく「襦袢」だろうと思うが、襦袢を「じばん」と呼ぶ地域は関東・東海・九州と散らばっている。ちょっと地域性があるものかどうかは疑問。
 なお「襦袢」はポルトガル語の“gibão”が元らしいので、「じばん」の方が原語に近い、という意見もあるようなのだが、Wikipedia によればそのポルトガル語はアラビア語の「ジュッバ (jubbah)」から来ているそうで、まぁ、どれが原語やら、という話はある。

 弘前公園の緑地課の人が、祖母のことを「あば」と呼んでいる。
おど」にしろ「あば」にしろ普通の家族名称だということは知っているのだが、俺の語感では、どうも「じじい」「ばばあ」的な蔑称のニュアンスを感じてしまう。そういう語を使う環境で育ってこなかった、ってことなんだろうな。
 それにしても「じじい」と「じいじ」でニュアンスが全然違うよね。

 大分の公園の管理人さんが「〜きらん」を使っている。「入りきらん」という形なのだが、これは「すべてを入れることができない」という意味ではなく「はいることができない」という、否定の可能形。大分に限らず、九州で広く使われる。
 昔のことについて「食べよった」と表現している。西日本の「よる」はアスペクト面を担っており、この場合は進行態である。標準語に訳せば「食べていた」ということになろうか。「食べやがった」ではないのだね。
 と書きながら、俺ってアスペクトのことちゃんとわかってない、ということを確認した。

 金沢の割販屋さん。
お腹減らへん」「いいひん (いない) 」という発言が目立つ。北陸には関西系の色があるので、そのせいかと思ってたが、どうも色が濃すぎる。よく読んだら滋賀の人だった。
 この人は、活版印刷機を貰い受けて印刷屋を始めたのだが、先代の人は英語が苦手だったそうだ。それについて「昔は“TEL”と“FAX”だけで足りた」と言っている。そうかもしれないなぁ。

 群馬県南牧村の移動販売屋さん。
教えてくれるんだいね」「厳しかったいね」と、「たいね」という語尾が印象的。
 なんだか優し気に聞こえる。

 宮古の漁師魚屋さん。
 鮭のことを「さげ」と言う、と書いている。
 これ、荒巻鮭の作り方を想像して、つるしてるから「提げ」なのかと思ったんだけど、単に「鮭」が濁ってるだけかね。
 前者であれば「」は鼻濁音、後者であれば濁音になると思う。
 津軽石という地域である。なんで宮古で津軽、と思ったのだが、ボロを着た坊さんが津軽から来て、一夜の宿の礼に石をよこした。そんなものよこされても困るので川に投げたら、鮭が大量に遡上するようになったので、「津軽石」と名付けた、という民話があるそうな。
 Wikipedia では、この地域を治めた人が津軽から持参した石による、てなことを書いている。
 この人、昔は川で泳いだり遊んだりしてたらしいのだが、親の立場になってみると、川は危ない、と思うそうだ。親心だね。

 北海道音威子府村の美術館の館長さん。
 昔、気を切り出すのを手伝っていた時、「凍り橋」で待っていたらしい。
 これが方言かどうかはちと微妙な感じもしないことはない。
「凍橋」で「すがばし」と読む、ということが Wikipedia に書かれている。今回は Wikipedia 祭りだな。
 凍った川に木を渡して、更に雪と水をかけて凍らせて作った橋。北海道でしか作れないよな、きっと。

 この本、全国で取材してる割に方言要素が少ないよな、と思ってるのだが、書いてみたら結構な量。
 紙幅が尽きたので、後編は来週。



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