優良書籍「
おべんとうの時間」の第三巻が出たので早速。いや、「早速」っても出てから二か月以上経ってるけど。
和歌山で、棕櫚の木を育てている人。
昔、父親が麺のランニングシャツを買ってきてくれた時の話。
そのシャツを「
じばん」と呼んでいる。
おそらく「襦袢」だろうと思うが、襦袢を「
じばん」と呼ぶ地域は関東・東海・九州と散らばっている。ちょっと地域性があるものかどうかは疑問。
なお「襦袢」はポルトガル語の“gibão”が元らしいので、「
じばん」の方が原語に近い、という意見もあるようなのだが、
Wikipedia によればそのポルトガル語はアラビア語の「ジュッバ (jubbah)」から来ているそうで、まぁ、どれが原語やら、という話はある。
弘前公園の緑地課の人が、祖母のことを「
あば」と呼んでいる。
「
おど」にしろ「
あば」にしろ普通の家族名称だということは知っているのだが、俺の語感では、どうも「じじい」「ばばあ」的な蔑称のニュアンスを感じてしまう。そういう語を使う環境で育ってこなかった、ってことなんだろうな。
それにしても「じじい」と「じいじ」でニュアンスが全然違うよね。
大分の公園の管理人さんが「
〜きらん」を使っている。「
入りきらん」という形なのだが、これは「すべてを入れることができない」という意味ではなく「はいることができない」という、否定の可能形。大分に限らず、九州で広く使われる。
昔のことについて「
食べよった」と表現している。西日本の「
よる」はアスペクト面を担っており、この場合は進行態である。標準語に訳せば「食べていた」ということになろうか。「食べやがった」ではないのだね。
と書きながら、俺ってアスペクトのことちゃんとわかってない、ということを確認した。
金沢の割販屋さん。
「
お腹減らへん」「
いいひん (いない) 」という発言が目立つ。北陸には関西系の色があるので、そのせいかと思ってたが、どうも色が濃すぎる。よく読んだら滋賀の人だった。
この人は、活版印刷機を貰い受けて印刷屋を始めたのだが、先代の人は英語が苦手だったそうだ。それについて「昔は“TEL”と“FAX”だけで足りた」と言っている。そうかもしれないなぁ。
群馬県南牧村の移動販売屋さん。
「
教えてくれるんだいね」「
厳しかったいね」と、「
たいね」という語尾が印象的。
なんだか優し気に聞こえる。
宮古の漁師魚屋さん。
鮭のことを「
さげ」と言う、と書いている。
これ、荒巻鮭の作り方を想像して、つるしてるから「提げ」なのかと思ったんだけど、単に「鮭」が濁ってるだけかね。
前者であれば「
げ」は鼻濁音、後者であれば濁音になると思う。
津軽石という地域である。なんで宮古で津軽、と思ったのだが、ボロを着た坊さんが津軽から来て、一夜の宿の礼に石をよこした。そんなものよこされても困るので川に投げたら、鮭が大量に遡上するようになったので、「津軽石」と名付けた、という民話があるそうな。
Wikipedia では、この地域を治めた人が津軽から持参した石による、てなことを書いている。
この人、昔は川で泳いだり遊んだりしてたらしいのだが、親の立場になってみると、川は危ない、と思うそうだ。親心だね。
北海道音威子府村の美術館の館長さん。
昔、気を切り出すのを手伝っていた時、「
凍り橋」で待っていたらしい。
これが方言かどうかはちと微妙な感じもしないことはない。
「凍橋」で「
すがばし」と読む、ということが
Wikipedia に書かれている。今回は
Wikipedia 祭りだな。
凍った川に木を渡して、更に雪と水をかけて凍らせて作った橋。北海道でしか作れないよな、きっと。
この本、全国で取材してる割に方言要素が少ないよな、と思ってるのだが、書いてみたら結構な量。
紙幅が尽きたので、後編は来週。
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