Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜



第960夜

方言番組三本


 ここ数週間で HDD レコーダーにたまった方言番組を一挙放出。
 こういうのって、続くときは続くんだよな。

 まずは、NHK の「あの人に会いたい」。
 どうやら、故人について NHK が持ってる映像を使って振り返る、という番組らしい。放送時間は 10 分。
 今回は林隆三。
 なんでこの人が方言、と思ったんだが、両親は山形の人で、本人も子供の頃に仙台に住んでたことがあるらしい。その関係で、宮沢賢治の作品の朗読会なんかもやってたそうだ。
 出世作の『竹山ひとり旅』はもちろん津軽弁。感情がのせやすい、というようなことを言っていた。
 母親が話してくれた物語を再現した映像があるのだが、トーク番組だというのにすごい迫力。きっと声の力もあるんだと思う。
 俺としては、ちゃんと通して見たのは一部の大河ドラマと「恋する日曜日 ニュータイプ」だけだなぁ。あと、国府弘子がやってた教育テレビのピアノ講座。失礼ながら指は細くないんだけど、器用に弾いてた。
 番組中で、「国盗り物語」の映像が流れたんだが、そのセットのスカスカさ加減にびっくりした。いかにも「スタジオの中です」って感じの空の色。「大河ドラマでもこんなんだったんだ!」と思ってしまった。まぁ、40 年近く前の作品なんだけどさ。

 次、何度か取り上げている NHK 教育の「にほんごであそぼ」。
 今回のテーマは「ありがとう」で、山形の「もっけだの」、島根の「だんだん」、京都の「おおきに」が紹介されていた。素人さんたちの拙い芝居が微笑ましい。しかもわざわざ長回しにする。早くカットかけてやれよ、とか思ったりする。
もっけ」は「もっけの幸い」の「もっけ」で、どうやら大元は「物の怪」らしい。それが「意外なこと」「珍しいこと」に変わり、「ありがとう」という意味になった――と言うと、「は?」と思う人もいるかもしれないが、そもそも「ありがとう」が「有難い」で「珍しい」ということだから、これは正当な形なのである。
だんだん」は何度も書いたような気がするが、「重ね重ね」である。
おおきに」も「大きに」で「とても」。
 つまり、お礼の言葉には省略形が多い、という興味深いことになる。まぁ、頻繁に使われるから、という説明はできるのかもしれないが、最も丁寧に言わなければならない局面の一つで省略形が使われるというのはなかなか面白い。

 最後、「TOKIO カケル」。
「終」マークがついてたが、宮崎だけかな。総集編というかダイジェストというか。
 要するに、方言話者である女性を呼んできて、TOKIO やイケメン芸能人と一緒に恋愛の小芝居をさせる、という企画。
 バラエティ色満開、と言ったら褒め言葉になる感じ。迫られたり、ダダこねられたり、壁ドンされたりでイケメンたちがメロメロになるのを愛でるのが目的のようだ。クリスマスパーティの設定だったせいか、イケメンが女の子を侍らせてる絵面に見えてしまったのは、オッサンのひがみか。
 さて、ここで気になるのは、方言を話す女の子は「可愛い」という感覚。これは、この番組だけでなく、ネットのニュースサイトなどでも頻繁に取り上げられる。
 実はこの感覚をあんまり肯定的に見る気になれないでいる。だから取り上げて来なかった。
 なんでか。
「可愛い」というのは、基本的に見下している姿勢だから。
 そのことは、年長者に向かって「可愛い」と言ったら失礼にあたる、ということを思い出してもらえればよい。まぁ、中年男性が若い女性から「可愛い」と言われたらむしろ喜ぶだろうが、それは別の事情があるわけだから脇に置くとして。
 そういう感覚がわからないでもないので内省してみるんだが、「方言を話している人」ではなく「標準語を話せない人」という意識で見てるんじゃないだろうか、と思う。標準語は改まった場面で使われるものだと考えれば、TPO をわきまえられない人、というか。端的に言えば、「田舎者」っていう見方。
「方言は感情の言葉だから思いが伝わってくる」とかいう抗弁もできようが、意味が分からなかったら伝わりはしない。番組でも、これ実際に遭遇したら通じねぇよな、という表現がいくつかあった。
 がんばってプラス面を探すとすると、方言を話すというのは、ガードが下がった、素に近い状態だから、というのはあるのかもしれない。
 もう一つ。
 可愛い、という反応の他に、方言で発話 (お芝居) することで笑いが起きることもあった。とりあえず、そのことを咎めたりはしないが、それが東北弁で起きていた、ということには注目したい。
 例えば、標準語が期待される場面で、京都弁で話している人と、秋田弁で話している人とを思い浮かべて欲しい。
 秋田弁の人は、内容にかかわらず無条件に笑われてしまう、という結果が想像できる。
 京都弁の場合、結構、ひどいことを言っていても、きれいだねぇ、と思われることもありそうだ。
 つまり方言に対するイメージの問題。
 これはもうどうしようもない。
 けんか腰になってても笑われたりするんじゃないか、って気すらする。
 だからきっと、京都弁を話す女性が「可愛い」のと、秋田弁を話す女性が「可愛い」のとは微妙に違っちゃったりするんじゃないかな。



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