Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜



第954夜

最新形「方言コスプレドラマ」の件 (後)


 笠間書院から出ている『ドラマと方言の新しい関係』に借りた文章、ラスト。

「八重の桜」の内藤慎介プロデューサーの発言。
 時代劇で方言を扱う場合は、まず時代考証の人などと昔の言葉に直して、次に方言を足す。その後で、「耳で聞いてわかるか」ということをチェックする。そこですっと入って来ない表現は書き直されるわけだ。そこでまた、「現在の方言」とは変わってしまう、ということが起きる。何度も言うが、それはしょうがない。
 面白いのは、役者さんたちは方言になじもうとして休憩時間にも方言を使おうと努力をしているのだとか。そこに、助監督が標準語で撮影再会の合図をした途端に、役者の頭の中の言語コードが標準語に切り替わってしまう、なんてことも起きかねない。そこまで注意しているらしい。具体的にどうしてるのかは言及がないが。助監督も方言を使っている?
 もうひとつ面白いのは子役。子役は方言の入った台詞を感覚的に覚えているらしい。別の言い方をすれば塊で覚えている。大人が、この文はこことここで区切れていて、ここは標準語ではこういう意味、ここはこういう意味、ということを把握しているが、子供はそうではない。
 したがって、台詞を耳で聞いたときには、大人の役者が言うのよりはるかにきれいに聞こえるのだが、塊で覚えているため、現場で台詞を削ったりすると途端に言えなくなってしまう。
 歌を覚えるように、というたとえがあるが、俺のピアノと似たような感じ。最初こそ丁寧に楽譜を追うが、何度もやってると覚えてしまって楽譜を見なくなる。それこそ塊で覚えているので、先生に「ここから弾いてみて」と言われても弾けない、「上手くいかないから片手だけやってみよう」と言われてもできない、なんてことが起こる。

「あまちゃん」の菓子プロデューサーの発言では、GMT のメンバーに触れられている。
 福岡出身って言い張ってるけど実は佐賀出身、っていう遠藤真奈というアイドルがいたが、これを演じた大野いとは福岡出身。彼女は佐賀弁を使わなければならなかったわけだが、自分の言葉と似すぎてて逆に苦労したらしい。
 昔、浅香唯が「ADブギ」というドラマで、熊本出身の役をやったことがあるのだが、これも相当、苦労したらしい。

 ふたたび内藤Pで、大阪でドラマの収録があると、やたらと夜間外出をする役者さんがいるそうだ。
 何をしているかと言うと、地元の居酒屋などによって、周りの会話をじっと聞いている。それによって大阪弁を体にしみこませる。
 内藤P曰く「自分の耳で聞いた音は再現できるんですよね」。
 発音と聞き取りが密接に関係している、というのは、例えば NHK 第二放送の「攻略! 英語リスニング」でもよく言われる。こちらは「口にできる言葉は聞き取れる」という方向ではあるが。
 ちゃんとやればいいんだろうなぁ、と思うのだが、通勤途中しか時間を取れない。ブツブツ言ってる危ないオッサンに見られるのもなぁ、と思って聞くだけである。聞き流しても身にならないんだけどね。

「カーネーション」の方言指導をした俳優の林英世氏の発言。「おおきに」の地域による違い。
 イントネーションの高低を矢印で示してるのだが、この本は縦書きなのでちょっとわかりにくい。ここで自分のための整理をする。
大阪:おきに
京都:おお
 さらに、「自分の家の中」という意味の「うちのうちのうち」。
大阪:ちのう
京都:ちのちのうち *1

 田中ゆかり氏から内藤Pへの問いかけ。
鉄砲さ撃づ」という言い方は、本来の東北弁の形ではないが、東北の外の人にとっては「」が入っているとものすごく東北弁っぽく聞こえる。そこをあえてやる、ということはあるのか。*2
 あるらしい。「八重の桜」では、違和感がある、という視聴者の意見があって、徐々に少なくしていったそうだ。

 逆に言えば、よその地域の方言の感じ方というのは、その「』があると東北弁に聞こえる」というレベルなのである。また、上の「おおきに」の違いもしかりで、近畿以外の人はそこまで意識がいかない。
 で、ドラマや映画がターゲットしている人の大半はそういう人たちである。仮に東北弁を使うドラマである場合、視聴者数が人口に比例するとすれば、非東北方言話者が9割となる。それをリアルでディープな方言でやったら、「ドラマを届ける」という行為自体が成立しない。

 最後、岡室美奈子氏の言葉が印象的。
 方言、あるいは一般的に言葉は、アイディンティティに深く結びついている、と考えられている。
 それは決して間違いではないが、実は言葉もアイデンティティも更新されるものだ、ということを「『あまちゃん』は (中略) とても軽やかに気付かせてくれた」。
 確かに。
 ひょっとしたら、方言ドラマに対する抗議は、我々の考え方が硬直化している現状を表しているのかもしれないね。




*1
 という具合に、語末の「ち」が高い音になるので、ここは有声音となる。関東のように息だけの音では高くできない。(
)

*2
 東北で「」なのは、「京都へ筑紫に坂東さ」という言葉がある通り、「に」や「へ」に対応する助詞である。「鉄砲さ撃づ」では「鉄砲を」なので「」にはならない。(
)


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