Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜



第897夜

アンドれ、メロス



 今度は NHK の「視点・論点」。「なまりうた」をとりあげるタイミングが全くない。そろそろまずい。
 テーマは「方言力の有効性」で、講師は作家でシャンソン歌手の鎌田紳爾という人。
 全文が NHK の「解説アーカイブス」で公開されている。

 特段、とがった内容ではない。
 一言で要約しちゃうと、方言は大事な文化遺産である、というようなところ。
 旅館で「よぐ来てけだねし」と言われると旅情を味わうことができる、というようなことが書かれている。
 方言は観光資産である、ということは自分でも書いてきたが、それには但し書きが必要である。観光目的で来た人であれば、「いつもの自分と違う」ことは積極的にプラス評価してくれる、むしろ待ち受けている、ということは言えるだろうが、そうでなかったら、それは障害になる要素だ、ということは忘れてはならない。出張で駅に降り立ち、訪問先へ行こうとタクシーに乗ったら運転手が何を言ってるのか全然わからなかった、という場合、これがプラス要素になることはまずない。そうなると、薄めた方言とか、相手を見て言葉を使い分けるとか、そういう作業が必要になる。
 実のところ、方言話者は大概、バイリンガルなので実はそれほど難しい作業ではない。どっちかに偏ってるのがまずいのである。
 震災のことにも触れられている。心のケアに方言が果たしている役割については、色んな人が色んな所で取り上げている通り。この場合は、思い切り方言に寄せることも有効であろう。この違いは、外向きの話なのか、内向きの話なのかによる。「心のケア」というのは内向きの話だし、普段、コードスイッチングのような面倒臭い作業をしているところ、それから解放する、というのも意味がある。この番組でも「体に染みついている」というような表現があるが、そこを掘り起こして、心をマッサージする、ということも意味があることだろうし。

 全文公開はいいが、「おもてまし」のようなミスタイプは早めに修正するとよい。

 鎌田氏は、太宰治の「走れメロス」を津軽弁に訳した『走っけろメロス』というブック CD を出している。
 ここに冒頭の一文があるのだが、やっぱりお隣とはいえ、秋田弁とはかなり違うことがわかる。
 ためしに秋田弁にしてみる。
   メロスはしたげ ごしゃだ。まず、あの邪智暴虐の王どご除がねねどした。
ごしゃぐ」が「怒る」で、通常、連用形だと「ごしゃいだ」になるところだが、こんな形になることもある。
まず」のところは、原文では「必ず」だが、これとイコールの秋田弁特有の語はないので、強調の語を探してみた。標準語の、「第一に」という意味の「先ず」とは意味が違うので注意。
 標準語で書かれた文章を訳す時に障害になるのが、この「邪智暴虐」のような漢語である。現在の文章ならカタカナの外来語もそう。訳しようがないのである。したがって、このようにそのまま出すか、意味を汲んで全く別の表現を持ってくるしかない。
 これ、読むのも難しいと思う。「じゃぢ」みたいに濁点がつくかどうかすら怪しい。それくらい、生活から遠い単語である。「じゃち」と読んだらその瞬間に雰囲気が標準語になって流れが阻害される。
「暴虐」の方は「ぼうぎゃぐ」だと思うけど、これだって「あーら難しい言葉使っちゃって」という違和感からは逃れられない。
「除かなければならない」は「除がねね」。秋田弁らしい言い方だが、鎌田氏の「除がねばまね」も津軽弁らしい言い回し。
「決意」も「邪智暴虐」同様、難しい語。ここではオミットした。実は、「除く」もやめたいが、うまい表現が見当たらない。政治家だったら「やめさせる」が使えるが王ではそうもいかないしなぁ。

 メロスと言えば、最近の話題は、メロスは走っていなかった、である。
 理数教育研究所が募集した「算数・数学の自由研究」で、「走れメロス」でメロスがどれくらいの速度で走ったかを研究したもの (PDF)。
 乱暴に要約すると、十里を一晩だったら 4km/h くらいじゃね、という話。全然、走ってない。
 これを書いた中学生の、「『走れメロス』じゃなくて『走れよメロス』だ」というコメントにはうなる。
 ネットで話題になった時に、「『走れメロス』で合ってるじゃん」というコメントが付いたのだが、ニュアンスは全く違う。そこには気付く感覚は大事にしたい。




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