Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜



第879夜

デスキャン



 秋田デスティネーション キャンペーンが開幕した。
 これは JR と自治体、観光団体が開催する観光キャンペーンである。
 なんか耳慣れない言葉だと思ったのだが、実は 1978 年に和歌山で行われたのが最初で、秋田はこれまでにも二度、対象となっている。その時のキャッチフレーズは 1984 年が「まごころ秋田」、1997 年が「秋田花まるっ」である。これには聞き覚えのある人も多いであろう。
 その時、「デスティネーション キャンペーン」という単語が使われていたかどうかは不明だが、まぁ、違和感ありありである。“destination”が「目的地」であることを知ってる人はそんなに多くないと思う*1

 Wikipedia に一覧があるので見てみたが、90 回もやってるのに、方言の登場するキャッチフレーズは、2001 年と 2008 年の「おいでませ山口へ」、2005 年の「ええじゃん広島県」、2011 年の「め〜ど〜 in 青森!」くらいである。
 ぶっちゃけの感想を言えば、キャッチーなキャッチフレーズはあんまり見当たらない。地名を伏字にしたらどこだかわからないのばっかり。
 上述の山口もそうだが、「うつくしま、ふくしま」や「北東北に進路をとれ」などは何回も登場する。浸透ということを考えれば、それもありだろう。

 何回も、と言えば、男鹿水族館 GAOで人気のホッキョクグマ、クルミの子供の名前が募集されたとき、「また『こまち』じゃねぇだろうな」という声が上がった。*2
 俺も最初はそう思ったのだが、しばらくしてから、それもありだな、と思うようになった。
 もう「秋田ときたらコメも酒も美人も列車も『こまち』」てなことが浸透すればそれはそれで武器になる。ことに同時期に新幹線がリニューアルしてるので、「赤いこまちで白いこまちに会いに行く」というようなフレーズも一案としてはよかったような気がする。

 キャンペーンの関連だと思うのだが、8 月末に秋田駅に行ったら、おそらく観光客に書いてもらったのであろう、秋田ってこんなにいいところだよ、というような紙がたくさん貼ってあった。100 枚超くらいかな。
 中に、方言に触れているのがいくつかあったので取り上げてみたい。
 まぁ、写真をそのままあげるのも、書き取ったのをそのまま紹介するのもまずかろうと思うので、趣旨や一部の表現にとどめることにする。

 秋田の人は「しょしがり (恥ずかしがり)」だそうである。まぁ、そうかもしれない。
 観光でよく言われるのは、「秋田の名物って何がありますか」って聞かれたときに「なんもね (何もない)」って答えちゃダメだってば、ということ。
 秋田弁特有の、よその人にはぶっきらぼうに聞こえる言い方で言うと、「観光になんか来てほしくない」と受け止められかねないので、確かに問題ではあろうが、そう目の敵にしなくてもいいじゃん、という気が最近している。
 というのは、自分の差し出すものを貶めるというのは敬意の表現の一つ、「つまらないものですが」「ご笑覧下さい」に代表される慎ましさの表れで、それと根は同じ、つまり、県民性である以前に国民性なのであり、そこを全否定しちゃいかんのじゃないかしらん。それをなくしたら秋田じゃなくなるのかもよ。
 まぁ、観光業に従事してる人がやっちゃいかんとは思うけど。

 秋田弁は、穏やか、柔らか、ゆったり、だそうである。ゆっくり笑顔で話せばそう聞こえるだろうと思う。
 でも口論になると怖いぜ。当たり前だけど。
 一方で、若い女性が早口の秋田弁でおしゃべりに興じているのは、おそらく可愛く聞こえるであろう。「方言萌え」ってやつだな。
「おそらく」をつけたのは、残念ながら、そうそう耳にできるものではないから。

 面白いのは、秋田の子供はバイリンガルである、と書いてる人がいたこと。ひょっとしたら、観光客の自分に対しては標準語で話をしているが、家族に向かっては秋田弁だった、というようなことを目撃したりしたのかもしれない。

ほっこり」はもう「ほっとする」という意味の全国共通の口語表現だということにしたほうがいいのかもしれないな。京都の人もそういう意味で使っちゃってるし。

 今回のキャンペーンのキャッチフレーズは「あきたにしました」である。
 これ、意地悪とか揚げ足取りで言うのではなく、初めて見たとき「秋田死にました」と読んですんげぇびっくりした。そこまで自虐的に行くか、と思ったが、いくらなんでも、と思い直して読み返してやっと「秋田に決めました」という意味であることを了解した。
 俺がひねくれ者であることをひとまず脇に置いて言うが、そういう誤読を誘発する表記なことは間違いがない。日本語は、アルファベット表記のようにスペースで区切ったりはしないが、漢字と仮名など文字の切り替わりが区切りの役割を果たす。大人が幼稚園児や小学生向けの平仮名だらけの本を読むと疲れるのはその区切りがないからなのだが*3、そういうルールを無視したキャッチフレーズである。尤も、そういうネガティブな反応も狙いに含まれてるんだとしたら大したものだが。*4
 もっと言えば、「デスティネーション キャンペーン」は「デスキャン」とも呼ばれるそうだが、この「デス」も“death (死)”を連想させてなんだか落ち着かない。昨今では、相手を否定したりバカにしたりすることを「dis る」と言ったりするのだが、それも連想される。
 なんか言語的に問題ありって気がする。

 このキャンペーンが成功するかどうかは分からないが、秋田の直前が広島「瀬戸内ひろしま、宝しま」、その前が仙台・宮城で「笑顔咲くたび 伊達な旅」。我々がこれをどの程度、耳にして、実際に行った人がどれくらいなのかを考えれば、なんか結果は見えてくるような気がする。
 前哨戦として有楽町で行われた「秋田けけけ祭り」で、我らが pramo がステージをやったのだが、都会のロコドル ファンには大変に好評だったようである。
「コスチュームのクオリティが必要以上に高い」と言われる「超神ネイガー」しかり、秋田は「オタク文化」で売った方がいいんじゃないか?
 そういう人たちって、本当にこの田舎まで来るんだぜ。




*1
 学生の頃、“destiny (運命)”と混同して恥をかいたことがある。まぁ、語源をたどれば同じなんだけどさ。 (
)

*2
「ミルク」という名前に決まったが、それはそれで、という感じはある。 (
)

*3
 だから、たとえば誘拐事件なんかがあったときに、「拉致」の「拉」が常用漢字表外だからと言って、「女子大生ら致される」と書くと、「複数の女子大生」がいったい何を「いたされた」のだろう、と思ってしまうわけだ。 (
)

*4
 秋田の地形を人の顔にした「だれだ?」の絵も、十和田・鹿角と由利がない、と突っ込まれている。 (
)





"Speak about Speech" のページに戻る
ホームページに戻る

第880夜「出身地鑑定」へ

shuno@sam.hi-ho.ne.jp