さて、HDD レコーダーがキャッチした番組に借りた文章、今回は 7/26 日放送の「クローズアップ東北」、「
被災地を支える“方言の力”」。
マギー審司が登場。気仙沼出身なのね。
まずは
石巻で、例の方言ラジオ体操。
市民の、「面白いです」という反応はいいとして、「懐かしい」というのが気になった。
そこで使われている石巻弁は古い形なのか?
ある程度はやむを得ないところはある。ラジオ体操のかけ声も、公の場で使われる言葉なので、しっくりくる俚諺形はそんなに多くないと思われる。また、「方言なんですよ」ということを分かりやすく示したいので、いつもより俚諺形の密度を上げなければならない。一生懸命さがして無理に当てはめている語があるのかもしれない。
もう一つの解釈としては、方言がたくさん耳に入ってくる状況自体が過去のモノになっている、ということも考えられる。
次が歌津。
震災関連の番組を追いかけているわけではないので、正確なところはわからないが、
南三陸町のうち、歌津が取り上げられることは多くない。正直、驚いた。
これは、歌津崎にある
ホテルを取り上げているから。
若女将が、歌津の良いところを見せたい、と考えて方言を題材にしようとした。手に取ったのは歌津町史。
ページを繰って、「
んでがす (そうでございます)」「
ずんねぇ (よくやった)」などを声に出している。
やはり古い表現だったからか、「
聞いたどぎねぇな」と言っているのだが、この「
どぎ (時)」はやっぱり東北特有の表現って気がしてしょうがない。どうにか確認する方法はないものだろうか。
ほかに「
うざねはく」という表現も出てきていた。これは「苦労する」という意味で、秋田でも使う。
『秋田のことば (秋田県教育委員会編、
無明舎出版)』によれば、「
うざね」というのは「湿田作業用の下駄」のことで、それを履いて歩くのは大変だから、という説明が最初にあるのだが、それに続いて「憂さ音吐く」という解説もある。
この表現は「
うざねはぐ」というイントネーションなのだが、「履く」は「
はぐ」で、イントネーションが違う、したがって、「田下駄をはく」ではない、というのだ。これには膝を打った。
ただしこの本は「うんざり」の変形だという説を取っている。
ちなみに、この若女将たち、方言のことをよく知らない、と言ってはいるが、発音はしっかり東北方言である。
追手門学院大学講師の
櫛引祐希子氏が登場する。
「方言は被災者に安心感を与える」とか「根っこである」とかはよく言われることではあるが、震災時の現地の人々と、例えばボランティアであるとか医療関係者、土木建築作業の人たちとの間において、「本来は隔てる言葉」で言葉であるはずの方言が、「東北の方言っておもしろいね」というところから始まって、地元以外の人との結びつきを強める結果をもたらした、というのは素晴らしい。
なんでコミュニケーションを取るかと言うと、自分の知らない情報を得るため、相手の知らない情報を与えるためである。つまり、異なる点を持つもの同士の間で行われる。今回のケースでも、違うことがコミュニケーションのきっかけとなっているわけで、ある意味、コミュニケーションというものを形作る要素の一つである。
これはおそらく、心の扉が開いているからであろう。そこが開いていない場合、違うことはすなわち障壁となる。
つまり、心の持ちようでどういう結果になるかが違う、ということである。
後半、マギー審司が僧侶の谷川正明氏を訪れて会話が始まる。
それに前後していろんな表現が取り上げられるのだが、なんか普通の方言集みたいになってたような気がする。もうちょっと色々とあるだろうに、と思った。
小林隆教授が、これにも出演。方言調査の様子が映っていたが、気仙沼には挨拶をせず、いきなり用件に入るという特徴があるのだそうだ。いや、たぶん、気仙沼だけのことじゃないと思う。田舎はどこもそうじゃねぇのか、と思うんだが、ひょっとしたら敬語の西高東低と同じで、西日本ではそうでもないのかもしれない。
人の家の戸を開けて中に入ってから「
いだがー」って言ったりする、なんてのも紹介されてたが、秋田の田舎だと、道歩いてて田んぼで作業してたおっちゃんがいきなり「
どさいぐ」なんて言ったりすることもあるしな。「おーい」とか「ども」とか無しでね。
最後、マギー審司達の会話に出てきた。
震災後、方言が注目されているが、それは、今改めて見直すくらい、表に出してこなかった、ってことだ、と言っていた。それは確かに言えるのかもしれない。
出させてもらえなかった、という側面は確かにあると思うんだが、「羹に懲りて膾を吹く」というところもあるような気はする。