Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜



第858夜

もう二年、まだ二年 (9)



 さて、地震に関して去年出た本を取り上げてきたシリーズもラストである。最後も稲泉連氏のもので『復興の書店 (小学館、2012/8/11 初版)』。

 まず、最初のころに書いたことに答えておく。
 震災直後、どのように本が必要とされていたのか。
 この本の中に再開した時期が書かれている書店がいくつかあるのだが、その中で最も早いのは 3/15 である。
 再開とまではいかなくても、店内を片づけるためにシャッターを開けて作業していると、人々が「やってるのか?」と覗いていくという描写もある。「殺到」「ぎっしり」「飛ぶように売れた」などの表現が並んでいる。
 人は、とりあえず自分の命の安全を確保すると、意外に早く書店に足を向けるものらしい。

 被害の様子が描写されている。
 書店は結構、高いところに商品があったりするし、本棚も倒れたらまずいものの筆頭だから、まず客の避難が重要なわけだが、落ちてしまった本を踏んで逃げることに疇躇する客がいた、というのにちょっと感動した。
 これ、ケータイや電子書籍端末を踏めない、というのとは意味が違うような気がする。こっちの場合、壊れたら困る、という感覚なのではないだろうか。
 本の場合、汚れたら困る、とか、踏みつけると表紙が破れてしまう、というのとは別の次元で踏めないのではないか。たとえば、室内で素足であれば本が汚れることはないが、それでも踏めるものではないと思う。足を接触させること自体がダメ、「禁忌」って感覚だろうか。
 紙なので水には弱い。津波で水を吸って膨らんでしまい、本棚から抜けなくなった、という話には驚くが、この点でも電子媒体との差が出る。本は濡れても乾かせば読めるが(まぁ、津波まで行けばどうかわからんが)、電子媒体は、よっぽど運がよくない限り、基本的に濡れたらアウトである。で、小さい筐体に何千冊も入れら
れる分、アウトになった時にはその何千冊も一気に失われる。もう何にも使えない。メディアとしてアウトである。
 濡れた本は、そのまま手元に置いておきたいと思うかどうかは別の問題として、中を読める、という点でメディアとしてはセーフなのである。*1
 先端テクノロジーのグッズは脆い、ということは頭に入れておかなければならない。*2

 書店の被害は、我々が思っている以上に大きい。
 学年が切り替わる 3〜4 月は書き入れ時だからである。特に、教科書を扱っている書店にとっては甚大である。

 ジュンク堂の工藤会長が神戸で体験した話もある。
 サンパル店が再開したのは 2/3 だそうだが、その準備をしている間にも、裏口から、どうしても必要な本がある、と言ってやってくる人がいたそうである。開店当日は、客が「だあーっと」入ってきて、かつ、「口々にお礼を言われた」。

 再開後に何が売れたか、というのも興味深い。
 子供たちが読むマンガ雑誌の話は報道されたのでよく知られていると思うが、車が流されたので中古車情報誌、家が被害を受けたのでリフォームの本、手紙の書き方の本は支援してくれた人への礼状を書くため、カレンダーが売れたのは日常生活のリズムが失われて日付の感覚がなくなっているから。
 釣りのポイントを航空写真で紹介している本、というのも目頭が熱くなる。そこに、今はない家が写っているからである。
 一方で、あらゆるジャンルの本が飛ぶように売れた、という話もある。
 また、マンガでは「『ワンピース』ではなく『ドラゴンボール』」という話もあった。以前のベストセラーが必要とされている。流されてしまったからである。
 なぜ本を、というのは、プライバシーがないも同然の避難所であっても、本を読んでいる間は一人になれる、ということを言っている店主がいた。それでいて、読んだ本を通じて人とつながることができる、と続くその発言は、本というものの本質に触れているのではないだろうか。

 ほかには印鑑、便箋などもある。本屋には雑貨屋的側面があるが、それは最近のことではなく、昔からのものだそうだ。
 その辺については『現代社会学ライブラリー 4 書物の環境論 (柴野京子、弘文堂、2012/7/30 初版)』が詳しい。

 というわけで、東日本大震災関係の本を材料にダラダラと書いてきた。
 俺が強く思うのは、多くの人の命が失われて、多くの人が心身の面で傷ついたが、この国はそれに見合うだけの変化をしていない、前と同じ、ということである。
 いや、そういう出来事があった上でのことだ、と考えれば、相対的には退化している、と言うべきなのかもしれない。防災技術という面ではともかく、本質的な部分では何も学んでないような気がする。




*1
 古文書はそうやって残ってきているわけだ。
 新しいデジタル メディアは、うまくいけば劣化なしで永久に保存できるが、もはや読み出し不可能なメディアは山ほどある。
 LD を DVD にコピーした人もいると思うが、データ形式が変わっていることに注意。DVD に保存されているのは LD と同じデータではない。 (
)

*2
 デジタルメディアを使っていて、「退化してんじゃねぇかよ」と思うことは多い。
 たとえば俺の両親は、DVD を見るのを嫌がる。途中でやめて「続きは明日にしよう」と思っても、どこまで見たかをメディアが覚えていてくれないからである。
 抜かなければ覚えててくれるプレイヤーもあるが、それは複数の番組・作品を見る人には何の意味もない。 (
)





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