次は『
IT 時代の震災と核被害 (
コンピューターテクノロジー編集部、
インプレスジャパン、2011/12/11 初版)』。
帯に「グーグル、ヤフー、ツイッター、アマゾン、動画サイトの 3.11」とある。つまり、IT 系の企業や人があの震災で果たした役割をまとめている。
これに文章を寄せている、
円堂都司昭氏は
浦安市在住である。ここがあの震災で液状化を起こしてしまったことを記憶している人もいると思うが、発生当初、人々の目は東北と原発に集中しており、堂々たる首都圏である浦安がそんなことになっているということはさほど知られていなかった。
先週、「作られてしまう他人事」なんてことを言ったが、その時点では浦安は「被災地」とはみなされておらず、なんで浦安に支援物資を送らなければならないんだ、という声もあったそうである。これが端的な形で現れたのが 4/10 の地方選で、そんな状態ではない、ということが県の選挙管理委員会にも理解されなかったわけだ。
さて、IT の話。
若者たちの活躍が二つ。
一つは、これはもう有名な話だが、中学生が、NHK の震災関連ニュースをスマフォで撮影しながら
Ustream に流した。
彼の両親は阪神淡路で被災していたそうで、情報がないことの辛さを知っていたのだろう。
Ustream 側は、通常であれば気づき次第、配信を止めるところ、この件に限っては「NHK から通報があった場合のみ配信を止める」ことを決定する。
一方で
NHK もこれを許可した。
twitter アカウントの
NHK_PR はこれに先行して、独断だと前置きしながら、これを認めるツイートをしている。
ここに多くの英断がある。正直、何度読み返しても目頭が熱くなる。
発端となった同時中継は、もちろん、違法である。だが、そうした情報を必要としていた人は確実に存在した。実際に、その動画へのアクセスが集中したのだからこれは事実である。
もう一つは
アマゾンの「欲しいものリスト」。これは、自分が欲しいものを登録して公開しておくと、それを見た友人たちがアマゾンでそれを購入してプレゼントできる、というシステム。プレゼントにかかわるミスマッチを解消できるわけだが、これを震災時の支援物資のやりとりに活用した。
ところがこれは、パソコンもしくは Internet 接続できるケータイの存在が前提である。停電、回線寸断と言う状況では活用が難しい。そこでアマゾン自らが被災地からリクエストを吸い上げてリストを作成した。ある避難所では、一人だけケータイを持っていた高校生が周囲の人に聞いて回る、ということをしたらしい。あるいは、彼は自分自身がやっていることの重要性をさほど認識していなかったのではないか、という気もする。これは大変なことだと思う。
NHK_PR の話が出たので、『
中の人などいない @NHK 広報のツイートはなぜユルい? (NHK_PR1号、
新潮社、2012/10/25 初版)』も紹介する。
地震とは関係なく興味があったので読んでみたのだが、上記の件に触れている。
スマフォを使った再配信を認めたときも、ダブルスタンダードだ、と非難するツイートがあったらしい。
が、よく考えてみると、これは震災当日のことなのである。『IT 時代の震災と核被害』によれば 15 時半ころらしいから、直後である。場所によっては津波が到達する前だ。一週間も過ぎた後ならともかく、まだ「よくわからないけど大変な地震らしい」という認識しか持てなかったその時点で、そういう非難ができる、というのはすごい。というか恐ろしい。そういうツイートをしたのがどこの人だかわからないが、やっぱり「他人事」だったのだろうか。
NHK_PR は一週間を待たずに、通常運転の「ゆるい」ツイートに戻る。これも非難轟轟だったそうである。
これは再送信のときの反対で、要するに「空気読んで神妙にしてろ」ってことなのだが、大変な中にあっても日常性は日常性で重要なのである。NHK は震災直後から朝ドラの「てっぱん」の放送を休止したが、一週休んだのちに再開した。そのとき、避難所に集まっていた人たちの中に安堵の空気が流れたと聞く。
世の中には、NHK だというだけで絡んでくる人も少なくないようだが、そのいなし方と毅然とした態度の使い分けが巧みである。
また紙幅が尽きた。
今週も方言要素皆無だが、来週もそうなる予定。