Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜



第848夜

うちのトコでは 3 (中)



御かぞくさま御いっこう」のもぐら氏の人気シリーズ、都道府県を擬人化した「うちのトコでは」の第三巻

 今回の奴は方言をかなりフィーチャーしており、栃木弁講座、甲州弁講座というページもある。
 栃木弁のほうに、アルミホイルのことを「ギンガミ」と言う、というのが挙げられてるんだが、これって方言なの? 俺も子どもの頃に言ってたような気がするんだけど。
 ググってみたら、確かに栃木弁についての記事が多いんだが、北海道弁、熊本弁という記事も散見される。やっぱりちょっと古めの表現だ、というだけなんじゃないのかな。
 甲州弁のほうには素足を意味する「つぼあし」が紹介されている。面白いと思って調べたら、山用語に「壷足」というのがあるのを見つけた。カンジキやスキーを履かずに雪原を歩くことで、足を突っ込んだ後が壷のように見えるかららしい。
 この二つって、ひょっとしたら同じものなんじゃない?

 気づかない方言いくつか。
 読者からの意見のようだが、福岡の人で、「はわく (掃く)」が方言だとは知らなかった、という記述。長崎や大分、下関でも言うらしい。ググっても、これが方言だとは思わなかった、という人、多数。
 広島 (擬人化キャラ。以下「人」)が、棚の上のものをとろうとして、「手がたわんけん、なんかさげてきてつかーさい (手が届かないので、なにか持ってきてください。『さげる』は『提げる』)」と言うのだが通じないので、「手がたわないので」と言い換える。この「たう」も気づかない方言で、広島だけでなく、岡山、山口、福岡でも使われる。

 一番好きなのは、「ない」の話。
 山口などで「きれいだった」というのを「きれいなかった」という言い方をすることがある。一見、「きれいじゃなかった」に見えるが、「きれいな」+「かった」と分解するのが正しい。
 これに東京 (人) が、おかしい、とクレームをつけるのだが、「きれいじゃない (ですか)」というように「ない」がついているのに意味は肯定、という形を見つけて愕然としている。
 同様に、「行こう」という誘いが愛知で「行こまい」になるが、この「まい」についても、「行かない?」という風に見た目否定だが勧誘、という形がある。
 前にも指摘したことがあるけど、形だけ見て自分の理屈を押し付けると、そういうことになる。

 尤も、他所の土地の言葉を、自分の (別の) 言葉のルールで解釈しようとして、というエピソードはほかにもある。
 秋田や岩手の「ねまる」は「座る」「くつろぐ」という意味で、飲食店の名前に使われることがあるが、これは九州の一部では「腐る」なので、食べ物を扱う店につけるなど考えられない。
さくい」は栃木などでは「気さく」「明るい」という意味だが、徳島では「頼りない」。褒めたつもりがけなしたことになってしまう。
「ありがとう」という意味の「だんだん」は、中四国で使われるが、広島の一部では幼児語。

 大阪 (人) のエピソードも面白い。
 大阪弁に愛と誇りを持っている、というのは有名な話で、他所の人がエセ大阪弁を使うと怒る、というのもまた有名。
 ネットで怪しい関西弁を見つけたので、やめろ、と書き込んだら、相手は滋賀 (人) だった、というお話。ありそうである。

 人に物をあげるとき「つまらないものですが」と言うが、その色々。
 京都の「ちりを結んだもんやけど」は、どことなく、いかにも京都な感じがする。「結ぶ」という語のせいだろうか。ネットの記事はあんまり多くない。
 三重で「なさけないもん」、和歌山で「くさったもん」というのが、「県内でも一部」という但し書きつきで紹介されている。この二つはネットに例が見当たらない。
 大阪では、「箱だけのもんやけど」というような言い回しがあるらしい。

 最後、「ジャス」。
 言うまでもなく、仙台でのジャージの体操着の呼び名。本では宮城と書いているが、これは仙台の言葉。
 で、それがテレビで取り上げられ、周囲がそれを話題にすると、宮城 (人) は、もう言わない、と心を閉ざしてしまう。
 方言について話をするのはこういう危険があるので、本来、慎重にしなきゃいかんのだが、まぁここのホームページは誰も読んでないし、差し支えあるめぇ。

 で、このシリーズは読みきりの長編が必ず掲載されている。
 最初は本四架橋から震災、2 では「よさこい」。今回は世界遺産。
 それについては来週。




"Speak about Speech" のページに戻る
ホームページに戻る

第849夜「うちのトコでは 3 (後)」へ

shuno@sam.hi-ho.ne.jp