Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜



第842夜

なまりうた (2)



 テレビ朝日の正月番組「新春全日本なまりうたトーナメント」を見ての文章、二本目。

 予選第三グループは青森から。津軽弁で一青窈の「ハナミズキ」。
 解説が微妙で、「っこ」を「大切なものにつける」と言っている。まぁ、間違いとも言い切れないが、指小辞は「小さいもの」「可愛いもの」につける、というのが正解のはず。「小さいもの」だから、軽んじる意味で使われる場合もある。
「空を押し上げて手を伸ばす君」は「空ばおつけで手っこ伸ばすおめぇ」。この「おつける」が、地味ながらいかにも津軽弁らしい感じ。秋田でも言うけど。
 あと、「つぼみをあげよう」の「か つぼみだ」もよい。正確に書くと「」と発音されている。あとから「ハナミズキ」という単語も出てくるが、これも「ハナズキ」。
「人」が「ふと」、この曲の印象的な部分「百年続きますように」の「百年」が「ふぇぐねん」。これも津軽弁らしい。
「果てない夢」が「うだで夢っこ」になっていたが、「ちゃんと終わりますように」というのが続くから、「うだで」と解釈したのであろうか。

 茨城の漁師さんは北島三郎の「北の漁場 (りょうば)」。
 どぶ汁について、「食べてみでぇな」と言っていたが、字幕は「食べてみてぇな」。
「海の男にゃヨ」が「海のおいらにゃヨ」になっているのは、方言訳というより、本人が猟師だから、その思いがこもっている、ということではないだろうか
 上で「漁場」のふりがなを「りょうば」としているが、ここでは「ぎょじょう」と歌われていた。理由は不明。この人や周りの人は普段「ぎょじょう」と言っているのかもしれない。これはほかに「ぎょば」「いさば」とも読む。ググると、検索支援候補として「漁場 読み方」というのが出てくるから、調べる人が多いのであろう。
「男の仕事場」は「おいらの稼ぎ場」。これも本人の思いか。

 富山の人はお母さんらしいが、「キトキトママ」という紹介。どういう意味だ。この番組、全般的に人の紹介には問題がある。
 歌はいきものがかりの「ありがとう」。
 出だしが「気の毒な」でかましてくる。
 つぎが「たごへご」で、意味は「でこぼこ」。
「淡い日々」が「やこい日々」。「やこい」は、秋田でも言うように富山でも「やわらかい」らしい。「やわらかい」から「はっきりしない」「たよりない」というような連想での意訳だろうか。
「輝いてるんだ」が「キトキトしとるっちゃ」。こういう使い方ならわかる。
「不器用に伝えている」が「てもじゃに伝えとっちゃ」になってるのがわからない、「てもじゃ」を単純にググっても何も出てこない。
なんどき」が二度、登場する。最初は「いつか」で、次が「いつまでも」。こっちは「なんどきも」という形だったが。
 この辺で気づいたのだが、伴奏はカラオケなので、コーラスが標準語のまま。ときどき食い違うのも、この番組ならではってことになるのか。

 決勝進出したのは、青森。

 第四グループは飛んで鹿児島。
 デュエットの彼女達が自らイメージを払拭してくれたのだが、「強かイメージがあっかもしれんけど、おごじょが歌うとむぜかふうに聞こゆっよ」。
むぜか」は「可愛い」で、九州各地で「むぞか」「むぞこい」などの形があるが、「可愛い」ではなく「可愛そう」になったりする。仏教用語の「無慙」が語源だといわれている。意味は「残酷」だが、そこから「不憫だ」が生じ、小さいもの、弱々しいものを形容するようになった、と考えればつながる。
 歌は Kiroro の「長い間」。
 いきなり「あばてんなか」がわからない。「長い間」に対応する部分なのだが、ググっても「とても」くらいしか出てこない。ただ「おびただしい」という説明もある。ひょっとしたら量が多いことを言うのだろうか。「あばてんね」という形のほうが多い。
「仕事が入って」が「しごっが入っせ」。単語の途中が音便化するのが鹿児島弁の特徴で、ここでも「仕事」が「しごっ」になっている。「入って」が「入っせ」になってるのは初めて聞いた。この形は何度も出てくる。
 面白いと思ったのは、「 () がならんとき」で、これは「逢えないとき」。
 この歌のキーフレーズ「愛してる まさかね」が「愛しちょっよ いかんこて」。歌が上手くて流れが自然なのとあいまって、「方言萌え」ってこういうことを言うんだろうな、と思った。

 福岡は博多弁でテレサテンの「時の流れに身をまかせ」。
 冒頭の紹介で「見きらんでか」というフレーズが出てくる。「見ていれらない」でいかにも博多な感じ。
 歌詞の方。「普通の暮らししてたでしょうか」が「うちはなんばしよったやろうか」。この「〜よる」で進行形を示すのも西日本っぽい。
「一度の人生それさえ」の「それさえ」が「それでちゃ」。これは初めて聞いた。
 最後の部分にある「だけどお願い」は「だけん」。この「だけん」は、ひょっとしたら他所の地域かもしれないが、「だけど」ではなく「だから」であったり、大して意味を担っていない接続詞だったりすることがある。

 愛知は、名古屋弁で槇原敬之の「もう恋なんてしない」。
「ヤカンを火にかけたけど」が「ヤカンをチンチンにしたけど」になってるのはサービスか。まぁ、大意に影響はない。
 冒頭で「おみゃぁさん」だった「君」が途中で「あんた」になってるのは、字数の問題か、それとも微妙にニュアンスが違うのか。
「一緒にいるときはきゅうくつに思えるけど」が「一緒におるときはとろくっさく思えるけど」になってるのはどうだろう。無理に名古屋弁を入れ込もうとしたんじゃないか、って気がするんだが。
 一方、「もし君に 1 つだけ強がりを言えるのなら」が「もしおみゃさんに 1 つだけえらそうに言っとてかんけど」。「偉そうに言ってしまうのはよくないけど」というのは旨い訳だと思う。

 ここからは、鹿児島が決勝に進んだ。

 話は変わるが、「ひとつ」や「ふたつ」を、アラビア数字を含む形にするのは嫌いである。MS-IME がそういう風に変換してくれるんだが、俺には「2 つ」を「ふたつ」とは読めない。

 決勝は来週。




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