Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜



第841夜

なまりうた (1)



 どういうものか、ここ数年、正月に方言を扱った番組が放送されることが多い。
 今年は元旦にテレビ朝日で「新春全日本なまりうたトーナメント」というのをやっていた。
 これは全国の素人さんが、(ご当地ソングでない) 一般の曲を方言に翻訳して歌う、というもの。
 民放が方言を扱うとロクな番組にならないので、どんなもんかいなぁ、と思いながら見てみたが、予想外に面白かった。

 登場したのは全部で 12 人。まぁ、ミスなんとかみたいな人もいたので、厳密には素人とは言いがたいのだが、青森から鹿児島まで、地域もいい感じに散っている。
 放送時間は一時間半なのだが、方言に翻訳された歌詞を入力しながら見たので、三時間弱かかってしまった。正月休みでよかった。
 予選が三組ずつ四回、次が決勝なので、全部で 16 曲ある。では、とっとと紹介していくことにする。

 広島からは、絢香の「三日月」。
 最も印象的なのは、「月」を意味する「あとーさん」だが、「あとうさん」でググると人の名前ばっかりで、「あとーさん」だとこの番組の感想が大半。あんまり使われてない表現らしい。
 元の形は何だろう、と思ったのだが、なんと秋田弁でも言うことがわかった。『秋田のことば (秋田県教育委員会編、無明舎出版)』に「あっとさん」という語が載っており、全国的にも「あとさま」などの形が広がっている。これに書かれている「『あーとうと』と言って崇め敬う気持ち」という説明は要領を得ないが、『語源探求 秋田方言辞典 (中山健、秋田協同書籍)』は「ああ尊い」としていてわかりやすい。こういう由来なので、月だけでなく、神仏や坊さんを指す場合もある。
 原曲の「泣き出しそうな空」が「泣きそうないたしい空」に翻訳されている。音数の問題もあろうから、こういう改変はありだろう。「いたしい」は、ネットでは「苦しい・辛い」としている記事もあるが、「難しい」の方が多いような感じ。この場合は前者だと思われる。
「二人で歩いた」が「二人でつろーた」になっていたのだが、これが今いちわからん。「つろく」てな形の動詞があるのだと思われるが、調べきれず。

 山梨の人はサザンオールスターズの「チャコの海岸物語」。
 山梨といえば「ずら」ということで、「ヅラずら (鬘だ) 」というのを披露していた。山梨を含む関東から中国あたりまでは四つ仮名を区別しない地域らしいが、Wikipedia によれば奈良田だけは区別するところらしい。今、どうかは微妙。
 この歌は全体に意訳の傾向が強いように思われる。
「目を閉じて胸を開いて」が「目をくっちゃいでつんだして」なのだが、目はともかく、胸の「つんだして」はどうやら「つきだして」に音便化が起こったものらしい。
「ハダカで踊るジルバ」は「ハダカわにわにジルバ」。「わにわに」はふざけている、調子に乗っているなどの様子をあらわす語である。ただ、意訳とはいいながら雰囲気は出ている。
「涙あふれてかすんでる」は「やぶせったくてかすじんもう」。「やぶせったい」は「うっとうしい」で髪が長いときなどに使う語らしい。
「なぎさの天使を」が「ええかんいいぼこ」で、え? と思ったのだが、「ぼこ」は「子」で、「可愛い子」か?

 宮崎は、CHAGE and ASKA の“SAY YES.”
 挨拶部分で「ちゃんと聴いちょきなよ」という字幕が出ていたが、俺には「聞いちょきないよ」と聞えた。
 出だしは「よざんなこつなどねぇこっせん」。「よざん」は「余残」かなぁ。この「ないよね/なくない」に相当する「ねぇこっせん」は比較的新しい言い回しだと記憶している。
 あと、語尾の「〜じ」も特徴か。前に浅香唯が「あ、安部礼司」にゲスト出演したときも多用していた。この歌では、「愛の構えやじ」「なんぼでん言うじ」などで聞くことができる。
 宮崎といえば「てげ」。彼らも「てげ」練習したらしい。

 ここのグループからは、広島が決勝進出。

 第二グループは、山形から。岩崎良美の「タッチ」。
 これも本人が自己紹介してるときの字幕が合ってなかったような気がする。「『だべーどが」が「とか」、「マッチして」が「マッチしで」になっていたりする。
 歌の方。
「知らずに臆病なのね」は「しゃねうぢ臆病なんだべ」。「しゃねうぢ」は「知らないうち」。これはほかの場所でも「しゃねで過ぎでんぐのに」という形で出てくる。
 会場でもウケていたが、「タッチ」と言うところを一箇所、「ちょす」にしていた。ネットでは「さわる」と説明している記事が多いが、これはどっちかといえば「いじる」「手を出す」に近い。「(汚いものや危険なものを指して) ちょすな」という使い方がほとんどだと思う。なので、お遊びの訳である。
 歌い終わった後、「決勝さ連れてってけろー」と言っていたが、これはおそらく、ドラマ中の「南を甲子園につれてって」をもじったものであろう。

 京都は、中森明菜の「飾りじゃないのよ涙は」。
「灯り」が「行灯」、「マフラー」が「えり巻き」は、ちとサービスしすぎの様な気がするが、方言訳するときカタカナを避けようとする、というのはよく見られる。
「かがやくだけなら」が「はんなりする」。「はんなり」は、「花なり」が元だと言われていて、上品ではあるが明るい様子を示す。たまに、京女のイメージに引かれてか、やわらかさとかおしとやかさをイメージしてると思しい使われ方をしているのを見ることがある。ひょっとしたら、放っておくと「ほっこり (本来は『疲れた』という意味)」みたいに誤用が一般化してしまうかもしれない。
 一番印象的なのは、審査員のクリス松村が言った「京都の訛り」という表現。京都の人が激怒してるんじゃないだろうか。

 高知は、Misia の“Everyhing.”
 仲居さんをやってる人らしいのだが、宴会の席で、「ぐっすりやってよ」と言うそうで、これが「たっぷり飲んでね」という意味になるんだとか。どうやら「ぐっすり」は「しっかり」てなことらしく、怪我の程度が悪いときなどにも使われる模様。
「過ぎてく」が「過ぎゆう」、「すり抜けていく」が「すり抜けゆう」となるのは、土佐弁の特徴。「扉」が「と」となっていたのは、方言訳と言うより、口語訳ではないだろうか。字数の問題かもしれないが。
「泣き疲れて」は「だれちゃあ」になってて、「泣く」の要素が抜けている。

 ここのブロックからは山形が決勝進出。

 というわけで、紙面が尽きたのでここまで。つか、ここまででも随分とオーバーしている。
 3 回連載になる見込み。




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