右の手首を虫に刺された。
ちょうど腕時計のベルトが来るところで、しょうがないので二日ばかり左手に時計をしていた。
前にも書いたかもしれないが、俺は右利きなのに右手に時計をしている。それは父が左利きであるため、ご幼少のみぎり、腕時計というのは右手にするものだと思っていたからである。中学の頃、当時は時計を持っていなかったのでちょっと友達のをはめさせてもらったときに、「お前、なんで右手にするんだ」と言われて「は?」というやりとりがあったのを覚えている。
右利きなわけだから、左手に右手で腕時計をはめるのは楽かと言えばそんなことはなく、結構、苦戦する。バックルにベルトを通せなかったり、通ったと思ったら時計が腕の平らな部分でなく横ちょについていたり、ベルトの穴にピンを通すため手を傾けたときに落としてしまうなど色々である。
その二日間、仕事などのときにやたらと時計があちこちにぶつかって気になった。右手にしているときはそんなことはないので、つけ方も含め、慣れというのはすごいなと思った。
さて、右とか左とかの話。
「右」の方を
Google につっこんでみると、とりあえず沖縄の「
にじり」が見つかる。「みぎ」とは大きく形が異なる。
「左」の方はというと「
ひじゃい」で、こっちは形が似ている。なんかアンバランス。
で、ここで止まる。他の地域の呼び方が見当たらない。
念のため、秋田のほうを調べてみると、『秋田のことば (秋田県教育委員会編、
無明舎出版)』も『語源探求 秋田方言辞典 (中山健、秋田協同書籍)』も「
みぎり」という形を挙げている。聞いてびっくり。「ひだり」に形を揃えたものらしい。古語辞典にもそう書かれている。
さらにこの「
みぎり」を、ものを握るのはほとんど右手であることから「
にぎり」と誤解した形もある由。
どちらも、青森から沖縄まで広く分布している。
ここで腑に落ちるのだが、沖縄の「
にじり」はこの「
みぎり」または「
にぎり」が変化したものだったのだ。
いずれ、ちょっと音が入れ替わった程度の形しかないわけだ。
ちょっと趣向を変えて英語がどうなってるのかを調べてみる。
“right”はラテン語の“rectus”に遡るらしいが、この語は「まっすぐである」「正しい」「右」という意味を持っている。つまり、“right”は昔っから“right”だったことになる。
では“left”はと言うと、これはなんと古い英語で「弱い」「価値がない」という意味の“lyft”という語が元。
ここには、「右じゃない方」「変則的」という発想から来た、という説が紹介されている。
となると思い出されるのは、「左利き」の扱いである。
最近はテレビドラマを見てても「あ、この人も左利きだ」「この人も」という感じでしょっちゅう見かけるのだが、伝統的には「左ぎっちょ」という語が差別的語感で使われてきたことで分かるとおり、生物学的な面とは別に、左利きはマイノリティである。
「ぎっちょ」には諸説あり、ポロに似た宮廷の遊びで使われる「毬杖」「球杖」(どちらも「ぎっちょう」)という道具を左で持ってしまう様子、「左器用」の変化、「左利き」+「ちょ」で「ちょ」は「太っちょ」などの「ちょ」で人を示す、などが見つかった。
で、俗語臭があるのでこれを方言だと思う人は多く、そう明言しているページが山ほど見つかる。
『秋田のことば (秋田県教育委員会編、
無明舎出版)』では「
ひだりこぎ」という語を見出しに挙げているが、それ以外にも「
ひだりっこ」「
ひだりぱっち」などを載せている。
『語源探求 秋田方言辞典 (中山健、秋田協同書籍)』は、「
ひだりぱち」を「左勝ち (左を使い勝ち)」の変化としている。また、「
ひだりめっけ」という語も立てている。
山梨の一部では「
じょっき」、
小名浜では「
ぎっちょぱい」と言うらしい。「
じょっき」は「ぎっちょ」の子音が交換されたものだろうか。「
ぎっちょぱい」の「
ぱい」にはさして意味はなさそうな気がする。
つか、「左利き」にした途端、俚言が出てくる。
おそらく「右」「左」そのものはあまりに基本的な語彙なので俚言形が成立する余裕がなかったのではなかろうか。英語の“right”もそうだったようだし。
右左には、「靴など左右揃っているべきものが違う状態」の言い方や、酒飲みのことを「左利き」など、言葉の面で面白いものはほかにもあるのだが、紙幅が尽きたので別の機会に。
それにしても、「時の記念日」を祝日にする件、なんかしてくんないかね、ほんと。
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