地元の
秋田魁新報に、方言に関する記事がいくつか載っていたので、それをまとめて。
1/14、「地方点描」というコラム。
「
びゃっこ」というタイトル。書いたのは湯沢の支局長で、湯沢の方言について触れている。
この「
びゃっこ」は、主に県南部で使われる言葉で、「少し」という意味。量についても程度についても言う。
語源については知らない人が多かったが、「白狐」だと言った人がいたらしい。白い狐は珍しい、だから、「少し」というわけだ。
これは語源説、いわゆる「民間語源」。
ちょっとキレイ過ぎる。それに秋田の方言と標準語形が全く同じ形、というのもひっかかる。
『秋田のことば (秋田県教育委員会編、
無明舎出版)』と『語源探求 秋田方言辞典 (中山健、秋田協同書籍)』は、「ばかり」が変形したものとしている。「少しばかり」の「ばかり」である。
『秋田のことば』はほかに「少し」を意味する語として、「
さっと」「
たちっと」「
ふとうぇあ」「
わんか」などと挙げている。ニュアンスは少しずつ違う。「
さっと」には「
さっとびゃっこ」という仲間もある。
コラム子は人の言葉をよく聞いている人らしい。
「てゆーか」が、元は「と言うよりも」だったが、今はその意味を失っていることに気づいている。
結論はまぁ、方言は暖かい、といういつものお話。
キレイ過ぎる、という点では、漬物の「
がっこ」が「雅香」だというのも同じ。
『秋田のことば』は項目を立てていないが、『語源探求』は「こうこ」としている。この「こう」は「香」だが、旧仮名では「かう」である。ということは、昔は「かう」と発音していたわけで、それが「がっ」になった、ということ。
こっちは佳字だろうかなぁ。
このコラムには、2/8 に読者の投書が反応する。
その人は昔、詩人の小坂太郎氏がそう言っていたのを聞いたらしい。断言だったのか、氏の感覚的な話なのかは不明。
1/25、「ふきのとう」という写真つきの小さなコラム。
湧き水に「
この水は飲まれません」という貼り紙がある。
一見、どこが方言? という感じである。
確かに「れる/られる」には、受身、自発に加え、可能の意味があるが、標準語ではこういう使い方はしない。「飲むことはできない」と言いたい場合は「飲めません」になる。「気づかない方言」の一つである。
この形は、「飲んではいけません」という意味でも使われることがあるが、この場合は「飲用でない」と解釈するべきだろう。
記事自体は、この湧き水は、バイパス工事によって枯渇してしまったため、昔の姿を取り戻そうとして近くの温泉のお湯を引いたものだ、ということを伝えようとしたもの。言葉遣いについては全く触れていない。
1/29、「北斗星」というコラム。
県のキャッチコピーの「あんべいいな秋田県」に対するクレーム。これは「塩梅がいい」ということだが、記者は「
あんべわりぃ」とは言うが「
あんべいい」は聞きなれない、と記者会見で知事に突っ込んだらしい。
『秋田のことば』と『語源探求』で調べていて、「塩梅がいい」は「
いあんべ」になるのではないか、としている。確かにそんな気もするが、言わないってこともないと思う。
コピー決定の過程にもちょっと触れていて、県外の人が聞いて分かるように変形した感じ無きにしも非ず、だそうだ。
それはともかく今の「
あきたびじょん」は年配層にはえらく評判が悪い。特にいいコピーだとは思わないが、どこが悪いのか俺にはわからん。
最後、2/11 の「コンパス」。これは海外に絡めたコラム。コラム多いな。
1908 年から始まった移民が世代を重ねて、秋田系ブラジル人は二万五千人もいて、サンパウロには県人会もあるそうだ。
記者がそこに行ったときの話で、みな秋田弁を話し、ワラビも食べた、と書いてある。
ポルトガル語 (ブラジル語とは言わないのか?
*1) を使うのは挨拶程度で、基本的に秋田弁なのだそうだ。
彼らの使っている秋田弁は、昔の秋田弁の形を残している可能性がある。また、周囲のポルトガル語との接触で独自の発展をしている可能性もある。これはちょっと興味深い。
尤も、移民は 1983 年まで続いたらしいから、今風の秋田弁が持ち込まれている可能性もないではない。
記者が気づかなかったのか、あるいは、実は今風秋田弁になってしまっていたのか、その辺は不明。
秋田大学辺りで調査してないのかな。
というあたりで。