大幅に遅れた。
放送されたのは 11 月中旬だが録画に失敗。
鳴り物入りだし、視聴率も悪くなかったみたいだし、年明けか春休み頃に再放送するだろう、とのんきに構えてたら、原作の市川森一他界で、一ヶ月ちょっとでの再放送となった。
市川森一といえば、初期のウルトラシリーズや「シルバー仮面」など 60〜70 年代の特撮で有名だが、ウルトラマンの漫画を小学館の学習雑誌に描いていた内山まもるもそのわずか 10 日前に他界している。内山まもるの場合、ウルトラマンの漫画が
復刊ドットコムで 4 ヶ月連続で復刊され、本人が描いたエッセイ漫画も掲載されている。ふたりとも、活躍中の話を聞いた直後の他界だったのでびっくりした。
で、「蝶々さん」の方。
知っての通り、これはオペラ「蝶々夫人」のモデルとなった人を主人公にした物語。ちょっと遠まわしな言い方になっているのは、結局、この話がフィクションだから。モデルとなった「蝶」という人はどうやらいたらしいのだが、彼女がアメリカの海軍士官と結婚して、ということはなかったそうだ。
この
小説がオペラの元になった実話だと思ってたんだが、こちらの作品もフィクション。
舞台は長崎。
言葉遣いで最初に気づいたのが、「
おうち」という言葉。「あなた」に相当するものだと思うが、何度も出てきた。
聞いてすぐに、これが俚諺形であることはわかる。一方、これが「あなた」であることも、文脈の助けを借りつつではあるが、すぐにわかる。
自分が知っている形と違うのに意味がわかってしまう、というのはすごいことじゃないだろうか。
また、京都辺りだと自分のことを「
うち」と言う。つまりこれは一人称の代名詞である。一方、「自分」は、話者自身を指したり、相手を指したりする。ということは、「
うち」が相手を指すこともあるかもしれない。
最近、チラっと書いたかもしれないが、違う形が同じものを示す、あるいは、その逆について、ちゃんと説明がつく、というのも非常に興味深い。
そんなことを改めて思う今日のこのごろである。
ほかに、何度も出てきた形としては、「
でけん」。
「
精進してもらわんばでけませんたい」「
入らんばでけん」などの表現がメモに残っているが、これは「精進してもらわなければならない」「入らなければならない」という意味。
つまり、この「
でけん」は、「できない」ではなく「そうでなければならない」という意味。“not be able to”ではなく、“cannot”に近い、というか。
“cannot”で思い出したが、「
うつされん」。
蝶の母と祖母はコレラにかかってしまう。蝶にうつすと大変なので、船で海に出て自決するのだが、そこでこの「
うつされん」が出てくる。
つまり、意味は「うつすことはできない」「うつしてはならない」なのだが、形としては「れる」で、可能の助動詞が使われている。
可能の言葉には面白い特徴がある。否定した場合、不可能ではなく、禁止の意味を持つ場合がある。この「
うつされん」がそうだし、実は秋田弁でもあって、この場合、音便化して「
うづさいね」となる。“cannot”と同じである。
冒頭、遊郭の亭主が、主人公の蝶を養子にすると決めた女将にむかって、「
よかごとしまっせ」と言う。「
よか」があるのだからその決定を是認したのだろう、ということはわかるのだが、ニュアンスは物語が進むまでわからなかった。
やがて、亭主は自分の愛人を女将に据えるために女中頭と結託して女将を砒素で密かに殺す。つまり、先の「
よかごとしまっせ」は「それでいいですよ」というのではなく「勝手にしろ」ということなのだった。
「
しまっせ」も何度も出てきている。「してください」である。「
見届けておくれまっせ」という表現もあった。
「
行きなった」「
決心しなった」という敬語表現も。標準語形では途中に「さ」が入り、「行きなさった」となるところである。
ドラマ自体は、ちょっと駆け足気味だと思った。
蝶が米兵と会うのは後編になってからで、後編が始まってわずか 16 分で結婚してしまっている。そこから米兵が帰国してなんだかんだあってドラマが終わるまでは 40 分ちょっとしかない。
最初、実話だと思った、と書いたが、中に出てくる
活水女学校というのは実在する (すげぇ URL)。
深堀地区では小学校で英語を教えている、と言っていたのが、これは本当なのだろうか。興味あるのだが、ちょっとググったくらいでは、ノイズが多すぎてわからないのだった。
宮崎あおいって、右手の小指にほくろあるんだね。