Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜



第789夜

かっこいい武士だみゃぁ



「たけしの教科書に載らない日本人の謎」を見た。日本語がテーマである。
 民放のバラエティに期待はしてないが、やっぱりな内容。
 寺の建立の「発願」を「はつがん」って読んだときに、あーぁ、って思ったけども(「ほつがん」である)、それが全てを現している。
 古代日本語は母音が八つあった、というのを、五つである現代よりも「三つ増えて」と言っていて吹き出した。今が三つ少ないんだよ。
 大陸との行き来をあらわしたアニメーションも船が太平洋 (四国沖) を回っていて頭が痛い。なんでそんな遠回りしなきゃいかんのだ。日本史の勉強をサボったにしたって、ちょっと考えればわかりそうなもんだ。
多くの江戸っ子が日本語を使いこなしていた」も泣ける。「日本語を使えなかった江戸っ子」もいたのか? それとも、「日本語を使わずに生活していた江戸っ子」か?*1

 言ってもしょうがないので、方言の話に絞る。
 源頼朝と義経の不仲について、言葉が通じなかったからではないか、という説を紹介している。平泉まで下った義経は東北弁を使ったのではないか、ということだが、Wikipedia によれば義経が鞍馬寺に預けられたのは 11 歳のときだったそうだから、言語形成期はもう終わろうとしている。伊豆に流された頼朝と意思疎通に支障が出るほどだったとは考えづらい。
 うがった見方をすれば、スタッフが頼朝のいた関東を標準語圏と思い込んだのではないか、という気もする。関東 (坂東) はこの時期、ド田舎である。都会と言えるようになるのは江戸時代。
 多少、東北訛りになっていた可能性はあるので、それを頼朝が嫌った、ということはあるかもしれない。まぁ、「説」というよりは「ネタ」か。
 二人の再会を「鎌倉時代」と言っているのはとりあえず不問にふすことにする。*2

 織田信長、豊臣秀吉は本当は方言だったはずだ、という話もあった。
 それはそうかもしれない。
 ただ、秀吉はひょっとしたら事情が違うかもしれない、という気はする。
 というのは、大名の長男として生まれた信長は身分が (さほど) 変化していないが、秀吉は下層階級から駆け上がっていく。
 おそらく自分の言葉遣いを変更する必要に迫られたはずである。そのときに、どの言葉を選択したか、ということは考えるべきであろう。
 無論、信長によって取立てられたという事実はあるから、清洲方言を無視したとは思えないが、自分が天下人になることを考え始めたところで、標準語に切り替えた (切り替えようとした)、ということもあったかもしれない。
 この辺を想像してみるのも楽しい。

かっこいい武士でもミャーとか言われちゃったらエーって思いますよね」というコメントがあった。愛知ないし岐阜の人から抗議がいったんじゃあるまいか。
 幕末の志士達は、それぞれの方言でイメージが定着している。それで「エー」と思う人はいないだろう。
 この辺、戦国時代の言葉遣いが不明で多くのドラマなどでは標準語でやらざるを得ずそれが定着したからか、現在の体制が薩長土肥ベースのものでその言葉にプラスイメージを付与したからか、ということを考えてみるのも面白い。
 あと、ゲスト俳優が、方言で台詞を覚えるのに苦労するので、統一して欲しい、とコメントしていた。正直なところだろうし、世間話ベースでは噛み付くほどのものではないが、テレビで発言するとなると問題があるだろう。俳優を芸術家に分類するのに無理はないと思うが、そういう人がバリエーションを否定する、というのもある意味、面白い。

 明治新政府あたりでも言葉が通じなかったのじゃないか、ということで寸劇があったが、それもネタの範囲に留まるだろう。本当に通じなかったら、維新そのものが成立しなかったはずである。
 そのやり取りに知らない言い回しがたくさん出てきたのでちょっと調べて見た。
薩摩:やっせんわろじゃ
「役立たず」らしい。「役をしない」+「野郎」みたいだ。番組では「だらしない」としていたが、それでは口論の雰囲気とあわない。
長州:ちゅーかい、話になりゃせんわ
「まるっきり」。というより、間投詞のような気がするんだが。
長州:ちぼけるな
「ふざけるな」。岡山でも言うらしい。
薩摩:きっせがらしか
せからしか」は鹿児島以外にもあると思うが、「きっ」がわからない。
長州:よいよ はしかいーわー
「本当に小うるさい」。「はしかい」は「痒い」というようなことらしいのだが、それと「小うるさい」には、接点があるようなないような。ほかの地域では「賢い」とするところもあるが、これもなんとなく遠くない気がする。
長州:ほほぉな目ぃあわすっど
ほほぉな目」は「ひどい目」だが、擬態語だとするとなんとなく理解できる。「ほうほうのてい (這う這うの体)」なんて言葉もあるが…。
長州:へんじょーこんごー言うないや
「くどくど言うな」。お経だよな、きっと。
薩摩:こんだっきょうづらが
 そのまま「ラッキョウ面」と訳していたが、それで通じるのか?
 明治維新後では「である」のことに触れられていた。
「である」と言えば『我輩は猫である』だろうが、これの大ヒットにより、模倣作品がたくさん出たらしい。そのなかに『我輩はフロックコートである』というのが見えた。これはちょっと読んでみたい。『猫』の方に、フロックコートの話題があるらしい。そこにひっかけてあるんだろうか。

「蝶々」が「ディエップディエップ」という発音だったのを紹介したとき、「てふてふ」という旧仮名遣いにも言及するべきだったような気がする。

 基本的に、「現代日本語はすばらしい」「そんな日本語を使っている僕達ってすばらしい」という選民思想が透けて見える番組であった。
 妙に引っかかるのは、ひらながを宮中の女性が使ったことの説明で、沖森卓也氏が「(女子高生が)独特の言い回しを使ったりするというのと(同じ)」と発言したときのテロップが「独自」になっていたこと。どういう意図があるのかなんだか気になる。
 俺の「独特」と「独自」の語感の違いから想像すると、やっぱり、「そういう創造力ってすごいよね」と言いたかったのではないか、という気がする。
 ほかの状況でなら、女子高生達の独特の言葉遣いってボコボコ叩かれるんだけどね。




*1
 勿論、理屈で言えば、「江戸の住民が全て日本語を使っていた」というのと矛盾はしない。が、わざわざこういう言い回しを選択したのはなぜだ、という疑問も押さえられない。 (
)

*2
 鎌倉幕府成立の十年以上前なので、平安時代である。(
)





"Speak about Speech" のページに戻る
ホームページに戻る

第790夜「今でん夢の中かもしれんね」へ

shuno@sam.hi-ho.ne.jp