先週、コーヒーだったので、今週はお茶。
コーヒーを小学生の頃から飲んでいる、と書いたが、そんな状態なので俺の手元にお茶があることはほとんどない。
胃を悪くした頃、ほうじ茶は胃への刺激がそれほどない、と聞いて番茶のティーパックを買ってみたことはあるが、なんだかパンチがなくてそのパックを使い切ったところでおしまい。
ほうじ茶って言ってるのになんで番茶を買ったのか。
Wikipedia の
番茶の記事を拾ってみる。
とある。
そう、ここに方言が隠れていた。
細かく言えば、俺がほうじ茶と番茶を混同していたのではなく、ほうじ茶が店で見当たらないので、実家でその話をしてみたら、番茶のことじゃね? と母が言った、という経緯。
補足しておくと、ほうじ茶が全くなかったわけではなく、職場で飲むことを想定しているので、100g 入りの袋では困る。ティーパック式を探していたのだが、それが俺が通うスーパーにはなかった、というだけ。もっと丁寧に探せばあるのかもしれないが、デカフェはあるところに行けばある、ということがわかったのでそれっきりである。
お茶といえば、お菓子。
今回、調べてみて知ったのだが、お茶を出すときにはお菓子を添えるのが常識らしい。お菓子無しでお茶だけを出すことを指す「空茶
(からちゃ)」という言葉すらある。
高松ではこれを「
おただ」と言う由。
「空茶」という商品もあるようだが、それってどうなの。と、知ったばかりの奴が言うのもどうなの。
山形に、「お茶請け」という意味の「
おぢゃおぎ」という言葉があるらしい。九州では「
ちゃじょけ」「
おちゃじょうけ」という語があるようだが、この「
じょけ」「じ
ょうけ」って何。
こちらの
ブログでは、「塩気」として「
しょちゅんじょけ (焼酎の――)」という語もあわせて紹介している。
なお、このお茶請けについて、漬物と断定している人、お菓子としている人、その両方としている人がいる。
「茶の子」は俚言と言うよりは古い言葉。「お茶の子さいさい」のあれ。
お茶といえば、お茶漬け。
京都の「
ぶぶ漬け」はよく聞く話だと思うが、この「
ぶぶ」はお茶だったりお湯だったりする。「湯漬け」ってのもあるので、この「ぶぶ」がお茶でもお湯でも一向に構わないわけだが、お茶とお湯が同じ語というのもちょっと引っかかる。
時代劇なんかで、客に白湯を出すことがあるが、あれがお茶になるのはお茶が高級品でなくなるずっと後の話である。平安時代だと貴族だって白湯である。だから、お茶とお湯ってあきらかに別物だ、って印象があるのよね。
「お茶かけ」という語も見つかったが、言葉として確立しているのかどうか、俚言なのかどうかがイマイチはっきりしない。
伊藤園が「
お〜いお茶」という商品を出している。缶やペットボトルではこれが縦書きになっていて「〜」がうねっているので、父親は「おしいお茶」と言い張る。
公募した俳句が書かれているのに気づいている人も多いと思うが、中には方言を題材にしたものがあるようだ。ホームページでたくさん紹介されているが、個人的には「
方言に酔って無口な嫁になる」が秀逸だと思う。
訛りは国の手形。それがないと通りづらいのよ。
冒頭で、ほうじ茶にパンチがない、などと書いたが、別に、買ったのが安物だった、ということではなく好き好きの問題。
白湯の話をしたが、お茶ってなんだかお湯寄りの飲み物という印象がある。そういう人は多かったようだが、缶入りのお茶が出始めた頃、「お茶に \100 も出すの?」と思った口である。
ビジネスホテルに行くと、小さい湯沸かし器の横にお茶のパックが置かれてあることがある。そういうのをキープしておくと、なんかの理由で突然、お茶が飲みたくなったときに役に立つに違いない、と思って持ってきたのだが、さて、今あるのはいつ持ってきた奴だろう。