Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第747夜

大地震その後



 地震では、東北各地、主に太平洋側の人々の様子がニュースに載せられてきて、お年寄りを中心に方言色のある発話がたくさん耳にできたが、それを「興味深い」とか言って話題にすることはしない。
 ただ、日常的に方言を使っている高齢層の被災者が多いこと、標準語に切り替えて話す余裕がないと思われる人も少なくなかったこと、を書いておこうと思う。

 あ、一つだけ。
津波てんでんこ」。
 三陸で言われている言葉で、津波が来たときには「てんでんこ」に逃げるべし。「てんでんばらばら」の「てんでん」で、人のことなど構わずに自分のことだけ考えて逃げろ、ということらしい。下手に誰かを助けようとするとどちらも死んでしまう、ということであって、決して冷酷な考え方ではない。
 ずばりのも出ているが、初音ミクのもあるようだ。

 二週間が過ぎて、少なくとも秋田市は少しずつ普段の状態に戻りつつある。スーパーへ午後に行っても菓子パンやカップラーメンは売られているし、ガソリンスタンドで km 単位の行列を見ることもなくなった。
 尤も、完全に戻ったのではなくて、食パンは相変わらず早く売り切れるし、早々と閉店してしまうスタンドもある。
 店によってはタバコは売り切れになっている。俺自身は全く困らないが、それは今まで在庫でまかなえてたということだろうか。
 ビールの類は少しずつ空いた棚を目にするようになってきた。それはちと困る。
 東北自動車道はもう復旧してるはずだし、東北自動車道しかルートがないわけじゃないのに、と思ってたんだが、これはやっぱりガソリンの供給不足のせいなんだろうか。
 コンビニよりも地元系スーパーのほうがよっぽどコンビニエントだ、というのは皮肉である。
 極力、在庫を持たずジャスト・イン・タイムで供給することを追求してきた現在の流通体制の限界、というより崩壊ってことなんじゃないかと思っている。道路については代替ルートを検討してあったかもしれないが、ガソリンも手に入らない、という事態は想定外だったんだろうな。
 つまり、前提がひっくり返されてしまった。今度は、そこの再検討から始めることになるんだろう。ただ、おそらくその実現にはかなりの金がかかるだろうな。それを消費者は負担するかしらん。

 ほかに秋田市のトピックスとしては、卸売り段階で野菜がだぶつき気味らしい、というのがある。
 なんでかというと、まず秋田産の野菜が交通関係の問題で出荷できない。さらに、出荷できないのは他の地域も同じだから、たとえば北海道から首都圏に行く筈の野菜が秋田に入ってくる、ということらしい。
 つまり、それに米があればとりあえずは食うに困らない。まぁ、これだって、電気(かガス)と水道はある、というのが前提なんだが。

 企業だけでなく、一般人の方も大問題で。
 ものを知らないというのは恐ろしいことである。こういう状況では、「知らないことは恥ずかしいことではない」とは言っていられない。
 最初にそう思ったのは、灯油を買うためにスタンドで並んでたときで、俺の後ろの人が「ストーブにガソリン入れたらどうなるの」と話していたとき。
 そう言えば、ガソリンの税金でもめて一時的に高値になったとき、「軽自動車」だからって「軽油」入れた、とかいう事件があったな。
 街中でスギ花粉が堆積してるの見つけて、「放射性物質では」って通報してきたという話を聞いたときにも頭が痛くなった。ニュースで散々、「見えない敵との戦い」とか言ってるだろうに。それに、花粉は毎年、見てるはずだぞ。

 こういう時には言葉が軽くなる。
 あいかわらず言いたい放題の有名人達。「天罰」だの「天の恵み」だの。東北人のことについて言ったのではないのだとしても、万単位の人が亡くなっているかもしれない状況で使っていい言葉ではない。
 そして一般の人たちも。ここぞとばかりに叩き放題。自治体は何をやっている、などと、現状を知らない外の人間が言っていいことではない。確かに、連絡体制が整っていないように見えるが、彼らもまた被災者なのである。いや、白状すると、神戸のときに俺自身がそういうことを言ってたしなめられた。

 俺にできることは、節電、節油くらいである。尤も、三月も末だと言うのにまだ雪が降る。反射式ストーブの火力を最小にして、電気で動くサーキュレータを止めると、割と寒い。
 あとは募金かな。どこに募金するのが一番いいのかを調べているところ。




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