Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第743夜

マジでおかん (後)



 今回のお題は松本修氏の『「お笑い」日本語革命』。

 次は「みたいな」。関西弁ではないが、お笑いから広まった言葉である。
 経緯は本を読んでもらうとして、これを「一人ぼけつっこみ」のための言葉、笑いを起こすためのツールと位置づけたのは面白いと思った。確かに、「ここで笑え」という雰囲気がある。
 1970 年頃に渥美清が使っていたそうである。確かに、今と同じような使い方のようだが、ほかにも多く並べられている中には、ちょっと用法違わね? って感じのも散見される。これが、『分布考』と違う、という印象を持ってしまった理由だと思われる。

キレる」。
 俺も年寄りの部類に入りつつあるところなので、「キレる」というのはかなり激烈なニュアンスを持っている、と思っている。それこそ、自分を制御できなくなって、殺人を犯しかねないような感じである。
 だから、この語自体は既に 80 年代からあるが、当時はテレビでは使いづらい表現だったらしい。そこで、「プッツン」や、飛行機事故で登場した「逆噴射」なとが代わりに使われた。
 そういうニュアンスを感じている者からすると、この本にあるように、一国の総理大臣が声を荒げたからと言って「キレる」という表現を使われると、なんじゃそりゃ、と思う。
 やっぱり言葉を乱す――もとい、言葉の変化を推し進めているのはマスコミじゃないだろうか。煽るのも仕事のうちなわけだし。

 ここでやっと言語地図が出てくる。ほぼ全体の真ん中である。

キレる」からの展開で、怒りの表現が取り上げられる。
 今の言葉は「ムカツく」である。俺よりも年配の人は、これを汚い言葉と言って嫌うことがあるが、これも関西起源の言葉。
 松本氏によれば、基本的に「内臓」+「動詞」で表現されることが多いのだそうで、「腹が立つ」「癪に障る」「肝が焼ける」という例が紹介されている。最後の奴は秋田に来て「きまげる」という形になっている。
 これに対して東の表現は「頭にくる」だそうだ。人体を使っているのは同じだが、これって主語が提示されてないよな。何が来るんだろう。

おかん」。
 全国に広まったきっかけをリリー・フランキーの『東京タワー――オカンとボクと、時々、オトン (2005)』に求めているが、定着した例としては NHK の「つばさ (2009)」を挙げている。確かに、多部未華子演じる主人公は自分を「二十歳のオカン」と言っていた。
 ここでは、多くの芸人が出てくる。
 全国に広めたのはダウンタウン。笑福亭仁鶴は、自分達が子どもの頃には使われていなかった、と証言する。
 そうかと思うと、坂田利夫、間寛平と西川のりおは、「おかん」と「おかあちゃん」は別の言葉だと言っている。西川のりおの表現を借りれば、「おかあちゃん」は専業主婦で、「おかん」は店をきりもりしているようなイメージ。言うことを聞かない子どもをひっぱたく感じだそうである。つまり、「おかん」は庶民の言葉である。
 俺は、「おかん」はともかく「おとん」にはなんとなくくすぐったさを感じていた。最近、「おかん」に形を揃えて作られた言葉なんじゃないの? と漠然と想像していたのだが、「使っていなかった」どころか「なかった」という証言もあり、この感覚はさほど間違いでないことが解る。
 この章が最も長く読み応えがある。

 最後に「おじんくさい」について触れられている。
 広めたのは「やすきよ」としているが、使われ方としては、西川きよしが横山やすしについて言う、という形。
 これがおかしいのは、さほど年も変わらず、しかも青年である横山やすしについて言うからなのだが、本来の意味は「おじいさんみたいである」ということなのだそうだ。だからこそおかしいのだが、今の (東日本の) 我々は「おじんくさい」を「おじさん」から来ていると思っている。そこに若干の食い違いというか落差がある。

おかん」について、子どもが中学生や高校生になって物心ついた頃に使い始める言葉、というようなことが書かれている。その頃になると、「ママ」は勿論、「おかあさん」すら使いにくくなる。なんとなく恥ずかしいのである。特に、男子の場合、友人の前ではどれも使えない。それで、ちょっと乱暴なニュアンスのある「おかん」が使われるようになる。
 その気持ちはよくわかる。
 俺は今のところ、両親に呼びかける言葉を獲得するに至っておらず、「ねぇ」などで誤魔化している。いい年こいて。




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