Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第712夜

若者ことばのヒミツ (後)



 秋田高専の準教授、桑本裕二氏の『若者ことば不思議のヒミツ』に借りた文章、後編。

 若者ことばの伝播について触れられている。口コミはほとんどありえないとしているが、「ネオ方言」というものがあることにはちゃんと言及している。なぜか「新方言」はスルー。
 想像だけで言うと、たとえば高校生あたりの行動半径は大学生、その上の若手社会人に比べると狭いわけで、そういう意味で地域的な障壁というのはあるような気がする。
 逆の方から見ると、県境付近の中学生は県内の高校に行くより隣県の学校に行った方が通学がはるかに楽、という場合がある。これなんかは、その世代の持っている交通手段の制限を受けているということで、行動範囲の狭さが逆に範囲を広げてしまう、という例かと思う。尤も、それが言語にどういう影響を与えているのかは知らないが。

 漫画の影響の話題では、ショックを受けたときの効果音「ガーン」は『巨人の星』が最初だというのでびっくり。今、「巨人の星」を変換したら、一単語で登録されていてまたびっくりした。つか、呆れる>Microsoft
「まったり」は『美味しんぼ』らしいが、味覚を表現していたことばが「のんびりする」に変化したのはなんでだろうね。
「ほっこり」も取り上げられているが、何度も言うように、この京都弁の本来の意味は「疲れた」である。
「ソッコー」は“SLAM DUNK”だそうだが、連載時期は 1990 年代前半。俺、80 年代中盤で聞いたり使ったりしてるような気がする。前から使われていてその漫画で広がった、とあるが、ってことは「ソッコー」は方言だったのか?

「超」も面白い接辞である。
「超むかつく」で非常に腹立たしい状態を表現できる。つまり強調の接辞として機能するわけだが、「超現実主義 (シュールレアリズム)」は「非常に現実的」なのではない。
 これは、文章中の例を借りれば、「超高層ビル」が「通常の高層ビルを超えた高さのビル」であると同時に「非常に高いビル」という解釈も可能で、「超」を使った造語が元々持っていた要素である。たまたま既存の表現と衝突したのが露見しただけ。
 これで思い出すのが「系」で、「アキバ系」など「それ方面の」「それ関係の」ということなのだが、「系」には別の意味がある。
 聞いた話だが、子ども相手で子どもが登場する科学系の教育番組で、「太陽系」という単語が出てきた。わかっているだろうとは思いながら、出演する子どもに「太陽系」の意味を確認したところ、案の定「太陽関係の何か」という意味だと思っていた、ということがあったらしい。
「太陽系」の「系」は、「処理系」「複雑系」などと同じで、“system”のことである。

 後半に、「意味わかんねー」が取り上げられている。
 若者が怒られたときに「意味わかんねー」というのは、「あなたが何を言っているのかわからない」のではなく、「怒られる理由がわからない」という意味である。
 俺は「意味わかんねー」というのは、拒絶の言葉として使われている、と思っている。これは単に「わからない」で終わるのではなく、「理解しようというつもりはない」というニュアンスまで持っているような気がする。
 実は職場で、若い社員だけでなく、もうちょっと上の人も使っていて、そういう人に「意味わかんない」と言われると、あーこりゃ何を説明しても無駄だな、と思ってしまうのだが、それって俺だけだろうか。

 いくつか気になった点。
「前に付き合っていた女性」という意味の「モトカノ」で、助詞の「の」のところで切って「女」を落としているのに「心もとなさ」を感じるとしているが、おそらく「モトカレ」が先にあってそれと形を揃えたのではないか。
 そもそも、「彼」と「彼女」が、「彼」が無票、「彼女」が有票である、というところにまで遡る必要があったりするのかもしれないし。
 省略形は大体 4 音になるのだが、最近は、「ロイヤル・ホスト」が「ロイホ」など 3 文字のケースが増えてきている。その例に「ウェブ・ログ」が「ブログ」というのを挙げているが、これはおそらく、日本でそう省略されたのではなく、先に“blog”という単語が入ってきたのではないかと思う。

『若者ことば不思議のヒミツ』という書名でググっても、今のところはほとんどヒットしない。出たばっかりなせいかもしれないが、つい『はじめての秋田弁』と比較してしまった。




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