Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第689夜

続・擬態語は衝突するか



 さて、擬態語について連載しているところだが。
『秋田のことば (秋田県教育委員会編、無明舎出版)』の副詞のページを読んでいると、びっくりするような語に出くわす。
ひくひく」がその一つ。
 南秋や雄和で使われている (た) 表現らしいのだが、これはなんと「つやつやした」という意味。
 擬態語の中には、説明されると、あーなんとなくわかる、ってのが少なくないが、これは解説を読んでも落ちてこない感じがある。

ぎなぎな
 脂ぎっている様子。「ギトギト」とか「ギタギタ」とかいう形はあるな。
 これは、三重では「なんとか」「どうにか」という意味となる。良くはないが、悪くもない、という感じ。
 また、「ゆっくり」という説明も散見される。

きがきが
「きらきら」に相当するらしい。
 八郎潟で「新鮮だ」という意味なのだそうだが、これは同じ単語のような気もする。

だおだお
 ものが撓う様子だそうだが、それを「たわたわ」と説明している。それも決してわかりやすい説明ではないような気がするのだが。
 津軽でも言うそうだが、茨城に行くと、水があげる轟音だそうだ。これはわかる。
 方言ではないが、「だよ」という語尾の代わりに使われている例が見られる。役割語というほど明確なキャラはみあたらないが、萌え系の語尾のように見える。

てちっと
 一杯調べていると、とても意味が想像できない語もたくさん出てくる。これもそう。
『秋田のことば』によれば、「ぷりぷりっと。背が低く肥えてはいるが肉のしまっている様子」。成人男性を褒める言葉のようだが、言われてもぴんとこない。しかも「ぷりぷりっと」という説明もどうかと思う。

でっくり
 こっちは「でっぷり」で、太っている様子。「てちっと」が褒め言葉に聞えないのと同じように、「でっくり」も太っているようには聞えない。「く」のせいじゃないかな。きっと感じ方が「でっぷり」でできあがっちゃってるんだと思う。
 福島では、「でんぐりがえし」のことを「でっくりがえし」という由。

ぼっちぼっち
「雪等の上をぬかり歩く様子」と「埃の舞い上がる様子」の二つ。ピンと来ないのはしょうがないとしても、この二つが同じ形というのも凄いと思ってしまう。地域差でもないようなので、割と困るんじゃないだろうか。確かに、それが並存している状況は考えにくいけども。
 島根では、水気が多いことを言うそうだが、こっちの方がなんとなくわかる。
「ぼちぼち」と同じ使い方をしていると思われる記事が非常に多い。そういう言い方をする地域があるのかしらん。
 昨今は、学内に友人のいない一人ぼっちの大学生のことを「ぼっち」と言うらしい。

ぎっちゃり
「ぐさり」で、刃物を指す様子だが、実は「ぎっちゃぎっちゃ」「ぐっちゃり」と同じ意味の語が三つもある。「じょぺっと」は刺すのではなく切る様子らしいが、バリエーションぽいとは言え、こういう語がいくつもあるのはなんとなく不思議だ。
 北海道では「ぎっちゃり」で「盗んだ自転車」を指す場合がある。「ぎったチャリ」というわけだが、こういう一単語がある、というのもどうかって気もする一方、いかにも方言ぽいとも思ったり。地域方言というよりは、若い人たちの世代方言だろうかという気もしないことはない。

じっかじっか
 これも刺す様子だが、ニュアンスとしては「ちくちく」。似てるといえば似てるけど、遠いといえば遠いなぁ…。
 島根では、日差しが強くて暑いことを言うらしい。日差しが刺さる…のか?

のんのり
 これも不思議。例えば雪が屋根から落ちたときの「どしんと」と言うから、ひょっとしたら擬態語と言うより擬声語なのかもしれないが、それにしては雪が落ちるときの緊張感がない。
 ということは可愛くも聞えるわけで、これに限らずこうして擬態語を調べていると、ハンドルとして使われている例が多い。今回の「のんのりさん」もたくさんいる模様。法子さんだったりするのかもしれないが。

ひかひか
「ひーひー」だそうで、「疲労して息苦しい様子」とあり、これはなんとなくわかる。
 が、宮城や同じ秋田の一部では、ものが光っている様子を示す語もある。「とれとれ」みたいなそのまんまの語だな。まぁ、「ピカピカ」という単語もあったりはするが。
ひかひかさん」も多数いらっしゃるようである。こっちは光さんだけではないような気がする。
 冒頭の「ひくひく」もこれの関係かね。

 というわけで、擬態語はひとまずここまで。
『秋田のことば』に載ってる副詞を全部調べれば今年一杯はネタが持ちそうでちと誘惑に負けそうにもなるが、いくらなんでもって感じなのでやめておく。
 こういうのは、誰か個人が考え出したものではないのだろうけど、誰が考えたんだ、って表現も時折見られる。本当に、言語の恣意性ってのを強く感じたことであった。




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