Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第682夜

ALL UP 2009



 今年は、何度も持ち出して申し訳ないが、まだ寒い時期に急に忙しくなって、それがケチのつきはじめ。春先に一段落はしたが、初夏のあたりでまた忙しくなって、もうそれっきりで現在に至る。
 実は時短が行われている。当然、この不景気による人件費削減が目的だが、仕事の量が変わらないどころか、人員削減のあおりを食ってむしろ増えており、残った人間の毎月の就業時間も逆に増加。ってことは、残業手当を支払わなければならない割増分の比率は前より上がっているわけで、人件費が抑制できているかどうかはあやしいもの、あの会社の判断力は大丈夫なのか、と思っているところである。
 最もあおりを食ったのはピアノである。本当に上手くなろうと思ったら練習時間は毎日数時間って代物なのに、週に 3 時間という状態になっている。これではどうにもならん。
 週末は空いてるんじゃないのか、という話もあろうが、平日の雑用がほとんど週末に回ってくるので、自分のために使える時間は大幅減である。
 ことにドレス コードが変わって、シャツに皺があってはならん、ということが明文化されてしまったのでアイロンをかけなければならなくなった。そうなってから大分経つのだが、一向に慣れないので、これにも時間をとられている。
 その明文もまた名文つか迷文で、色々と興味深い点が山ほどあるのだが、機密保持の関係で公開するわけにはいかないのが残念である。
 忙しい話についてはこの辺にしておく。

 アイロンが上達しないのはおそらく俺が不器用だからであろう。
 これは「てぼっけ」などと言うのだが、『秋田のことば (秋田県教育委員会編、無明舎出版)』には「手惚け」とある一方、『語源探求 秋田方言辞典 (中山健、秋田協同書籍)』では「手棒」としており、「手惚け」は民間語源と書いている。
 また、『ことば』は「ぶがん」も挙げている。これは「不堪」で、『徒然草』にもあるらしいのだが、「その道の心得がないこと、未熟、不器用を意味する」のだそうだが。
 実はこのあたりを追っていくと差別語に行き着くのでおっかなびっくりで書いている。

 アイロンを「かける」のか「あてる」のかについては色んな意見があるようだ。地域差と言う人もいれば、指す内容が違う、と言う人もいる。
 後者の場合、「かける」は作業全体を指し、「あてる」は文字通りアイロンを布に当てることらしい。アイロンは、その重さで力ずくで伸ばすのではなく優しくあてるんだ、というような表現も見つかった。

 話を今年全般に戻す。
 自転車のレースはついに二大会にまで減った。まぁ、全部に出てこの数字と言うわけではなく、出ないのもあるのだが、10 年位前には三週間に一回てなペースで遠征していたことを思えば隔世の感がある。
 一方で、エコともリンクして自転車そのものはブームのようだ。レースに出るような人しか乗ってなかった有名メーカーの自転車を時折見かける。これは東京に行くと顕著で、「そんな高級品を街乗りに?!」と思うことが多い。
 事故も多いようなので注意されたい。自転車はその気になれば 50km/h 出せる乗り物だ、ということは忘れないで欲しい。

 プライベートはこんなもんである。
 年賀状に今年の活躍を書こうとして、「俺、何もしてねぇじゃん」と愕然とした。こんだけ何もしなかった年は久しぶりだ。「忙殺」という言葉がリアリティを持って思い出される。

 言葉方面では、先週、取り上げたが、やっぱり『言語』誌の休刊が大ニュースである。
 ひつじ書房のトップにある日記の 2009.8.19 分で触れられているが、確かに、大修館が厳しくてそうなった、というのではないとしたら、やっぱり難しい本は売れない、難しい文章は読まれない、ってことなんだろうか。
 笠間書店のブログによれば、『言語』そのものについて言えば赤字だったんだそうで、「選択と集中」ってことだったのかしらん。

 残った『日本語学』だが、12 月の特集が「子どものための言語学」。自分の母校に呼ばれて話をするとしたら、というテーマで書かれた文章が集められているのだが、面白かった。入門篇的な話ばっかりだし、それでいてかなり広い範囲をカバーしている。
 クリスマス プレゼント的発想だったのかもしれないし、NHK の「ようこそ先輩」が元だったのかもしれないが、いい切り口だと思う。

 というわけで 2009 終了。
 この文章の質がどうなるかは偏に仕事量にかかっているのだが、どうなることやら。




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