Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第676夜

複数の日本語 (前)



 最近、気になっている――と言いつつ、初めて読んだのが『言語』だったのか『日本語学』だったのか覚えてないのだが――工藤真由美氏の本。八亀裕美氏との共著で、『複数の日本語 方言からはじめる言語学』を読んだ。
 面白い。
 標準語をものさしとして方言を見るのは間違いだ、という点に大いに共感する。

 可能表現には、「条件が整っているので可能である」という「状況可能」と、「その能力があるので可能である」という「能力可能」とがある、ということは何度か紹介してきた。
 秋田弁では「やるにいい」と「やれる」、大阪弁では (こっちは否定形だが) 「やれん」と「ようやらん*1」とがあって意味が異なる。しかし、これは、標準語では言い分けることができない。長い説明を加える必要がある。
 一方、英語では、“can”“be able to”“possible”“capable”など複数の言い方があり、それぞれ意味が違っている。色んな「可能」を言い分ける言語の方が多いんじゃないか、ということになる。
 つまり、「標準語」は「標準的」でないのである。

 まず出てくるのはアスペクト。
 前にも説明しているが、英語文法で言うところの「進行形」「完了形」など、その動作がどういう状態なのかを説明する要素である。
 へぇぇ、と思ったのは、アスペクトを担う要素は多くの言語で「存在動詞」だということである。英語では進行形は be + 〜ing だし、日本語でも「〜(して) いる」で、どちらも何かの存在を示す動詞を利用している。
 これまた何度も紹介しているが、標準語のアスペクト形式は「〜ている」しかない。そのため、「雨が降っている」だけでは、「今まさに降雨状態である」のか「今は降雨状態ではないが、路面が濡れているので、さっきまで降雨状態だったと判断できる」のかわからない。
 ほかの言語と比較すると、こういう分類は少数派らしい。
 西日本では、これを「降りよる」と「降っとる」で言い分ける。
 一方、「〜ている」でどういう状況を示すかは動詞によって異なる。「降っている」は「今まさに降雨状態である」ということだが、「壊れている」は、「今まさに形態変更中」ということではなく、壊れるという動作は既に完了しており、その物体が元の形を失っていることをさす。
 この違いは一般に、変化を示す動詞かどうかで説明される。「壊れる」のように状態の変化を指す場合、「〜ている」は結果を意味する。
 では、「(家などが) 建つ」はどうか。「建っている」は、「建築作業が終わり、建物が聳え立っている」状態である。
 しかし、本書の例を引っ張ってくると、愛媛の宇和島では「建ちよる」は、「建築の真っ最中である」という意味になる。つまり、文法形式だけでなく、動詞の分類方法も違う、ということになる。

 次に出てくるのは「エビデンシャリティ」という言葉。
“evidence”は「証拠」という意味で、「僕は見たんだ。嘘じゃない」ということを示す形。
 正直、ピンとこない感じがないこともないのだが、以下の、沖縄の例は理解できる:
   ○○さん、車にひかれた
   ○○さん、車にひかれよった

 後ろの表現は、言った本人が目撃したときでないと使えない形らしい。

「リモートネス (過去を表す場合、ちょっと前なのか、かなり前なのかを示すカテゴリ)」を経由して、「ミラティヴィティ」に移行する。
 これはググっても 2 件しか出てこないという概念で、英和辞典にもない。“mirativity”らしいので“mirative”という形容詞形があるはずだと思ったが、これも出てこない。ノイズ覚悟でググったら英語版の Wikipedia で“admirative”という形もあることでやっとわかった。“admire”は「感嘆する、ほめる」という意味。本書では、「驚異形」という言葉が使われている。トルコ語やブルガリア語には、話者が「びっくりした!」ということを伝えるための活用形があるらしい。
 これが、沖縄の首里方言にもあるのだそうだ。

 形容詞は、ものごとの状態を表現するための言葉である。終止形で現在を、連用形にして「〜った」をつければ過去を、「〜くなる」とすれば未来の状態を示すことができる。
 では、今だけそんな状態である、ということを (「今だけ」という説明をつけずに) 示す形はあるか。
 東北地方にはある。「イケメンでら」というのは、「イゲメンだ」というのとは違い、気合の入ったメークをしているかなにかの理由があって、「今、男前だ」という意味である。したがって褒め言葉にならない。
 これは英語の“be being ...”と同じである。

 つづく。




*1
 こっちはひょっとしたら、「状況」というよりも、精神的な抵抗がある、ということかもしれないが。 (
)





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