Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第665夜

なんにも用事がないけれど (後)



 内田百 (「門」に「月」という字) の『阿房列車』を紹介している。
 この作品、「日本初の鉄道オタク小説」と呼ぶ向きもあるらしい。一等車に乗るためには借金もいとわない百關謳カ。『第二阿房列車』では横手、新潟から山陽、九州を駆け抜ける。

『雪中新潟阿房列車』では、人力車の車夫が海を指差して「インユウギュギュ」と言う。これは「遠洋漁業」のことらしい。

『雪解横手阿房列車』では、横手に宿を取る。
 地元の名士やなんかも一緒に酒宴となる。
 だが岡山出身で東京暮らしの長い百關謳カ、周りの人が何をしゃべっているのか全くわからない。
字に書けば解る事を解らなく云っているのか、楷書で書いても解らないことを云っているのか、その区別が判然しない。
 とのことである。

『春光山陽特別阿房列車』では、子供の頃の知り合いとの、岡山弁での会話が読める。当然のことながら、ほかの地域の言葉遣いなどとは違って正確である。
 次の『雷九州阿房列車』では、岡山の喧嘩のときの言い草として「悔しかったら井戸の穴を背負って来い」というフレーズが紹介される。無理難題を吹っかけて相手をバカにしているのであろうが、正確な言い回しとしてはどうなるのであろうか。ちと気になる。

 阿蘇の火山灰、「ヨナ」について触れられている。「霾」と書くそうである。

 猿で有名な大分の高崎山。
たかきやま」らしい。
 が、どうも今は「たかきやま」になっているように見える。
 大分市のホームページにある子供向けの「にこにこパーク」では、民話のページだと「たかざき」、動物園紹介のページだと「たかさき」である。むかしは「ざ」だった、ということか?

第三阿房列車』に乗り換える。
 今度は銚子である。『房総鼻眼鏡 房総阿房列車』によれば、銚子の「霧ケ浜」というところがあるそうだが、これが「訛って」「君ケ浜」になった由。
 でも、ググって見たら義経伝説が絡んでいる、という説もあるとのこと。

 最後の『列車寝台の猿 不知火阿房列車』で「かんかん」という単語が出てくる。主治医に、「旅先にかんかんがあったら体重を計って来いと云われ」たらしい。
 まぁ、秤の類だろう、ということはわかる。人間の体重を計ることができるんだから、小さなものではない。読み進むと、駅にあるらしい。手荷物預かり所にあるとのこと。
 台秤のことじゃないか、と検討をつけて辞書に当たってみたらその通りだった。「看貫」と書くらしい。

 と、二話連続で『阿房列車』を取り上げては来たが、方言濃度はどうやら『第一阿房列車』が高く、『第三』に向けて低くなる。
 これはまぁ、地域の問題もあろう。『第三』は、九州、山陰あたりが多い。横手のように、何を云ってるのかわからない、ということはあるまい。したがって、百關謳カが気に留めることも少ないのであろう。
 それをいいことにちょっと方言から離れると、小説家だけあって、人の言葉遣いが気になることは多いようで、食堂車の案内で「ただいまよく空いております」という案内の「よく」に憤慨していたりする (『雷九州阿房列車』)。たしかに、「ガラガラです」という風に解釈できてしまう。
 よく見かける表記が「著く (つく)」である。「到著」というのも少なくない。
 漢和辞典に当たってみたら、元々の字は「箸」で、省略形が「著」、その更に俗字が「着」だそうである。で、今では、書き表すことを「著」、「きる、つく」が「着」と使い分けている、ということだそうである。つまり、「到著」は「到着」よりは伝統形 (に近い) ということになる。
 そうかと思うと、「真直い (まっすぐい)」という表現も出てくる (『隧道の白百合 四国阿房列車』)。これはわずかながらネット上にも用例が見られる。
『第一』のころには「歩廊」だったのが、『第三』では「ホーム」になっているのも興味深いところである。

 別にユーモア小説というわけではない。百關謳カには先生なりの信念があり、それを貫いたり、あるいは引っ込めたりしているだけで、読むほうがちと立ち止まって考えてみると実は深かったりして、面白い。勿論、ユーモア小説的な読み方もできるので、気楽に取り組んでもよかろう。
 そういう風に気楽に行きたい人には、一條裕子によるコミカライズもある。漫画と侮ることなかれ。これほどピッタリなコミカライズもそうはないのではないか。懊悩する百關謳カとか、「これが阿房列車である」と力瘤を作っている百關謳カが見事に描かれている。そして、時折挿入される見開きの風景には彼女の画力が発揮されていて目を見張る。

 これを読んだら、久しぶりに列車の旅がしてみたくなったが、俺にはヒマラヤ山系がいないことだし、まぁ後のこととする。




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