内田百
(「門」に「月」という字) との出会いは、黒澤明の映画「まあだだよ」に遡る。93 年の映画だから、遡る、と言うほど昔でもないが。多分、テレビとか雑誌の紹介で「ふうん」てな感じの興味を持って見に行ったのであろう。聞くところによると興行的には失敗だったらしいのだが、俺は別につまらないとは思わなかった。多分、内田百闔ゥ身がユニークな人であることとと、百閧演じた松村達雄がピッタリだったことによるのであろう。
実は、わかつきめぐみ が単行本の後書きで『
ノラや』に触れている。映画にもエピソードとして取り込まれている有名な小説である。どういう話かというと、猫がいなくなったと言って泣き暮らし、新聞に折り込みチラシまで入れる、というもの。
今、本棚をひっくり返してみたら 91 年に出た『グレイテストな私達』の 1 巻だってことがわかったが、これをいつ買ったのかを覚えていない。中に値段が (鉛筆で) 書かれていないから古本ではなく新刊だと思われるのだが、だとすれば、コミックスの配本状況から言って発売直後だろうか…。
まぁ、いい。
次にくるのが、去年の暮ないし今年のはじめ。すでにいつのことだか判然しないが、誰かが「
サライ」でちくま文庫の『
内田百』を薦めていて、それでオンライン書店に注文してみた。
今風に言えばコンピレーションで、色んな時期のいろんな種類の作品が掲載されているのだが、そのラストがかの『特別阿房列車』だった。
今回のタイトルに借りた「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」というのは有名なフレーズらしい。
百關謳カ、汽車が好きなのである。目的は汽車に乗ることであって、観光ではない。旅先で見聞を広めるなどもってのほか、敗北である、とまで言う。後は、弟子の「ヒマラヤ山系」と酒ばっかり飲んでいる。
さて、『特別阿房列車』をスタートに『不知火阿房列車』まで、単行本三冊となるこのシリーズ、ときおりご当地の方言に触れるので、その辺をご紹介しようかと思う。
まずは『
第一阿房列車』の三作目『鹿児島阿房列車』。
内田百閧ヘ岡山出身である。鹿児島に行く途中で岡山を通る。そこで車窓に子供の頃に見慣れた「瓶井の塔」を探す。
これ、「みかい」が正しいらしいのだが、百關謳カ曰く、「だれもそうは云わない。訛りなりに、『
にかい』の塔と云うのが固有名詞になっている」らしい。
へぇぇ、と思ってググってみたが、「瓶井」を「にかい」とする記事の内、半分くらいはこの『阿房列車』に関する記事だった。そういう呼び方をする、という記事は見当たらない。『鹿児島阿房列車』が公開されたのは 51 年で、60 年しか経過してないのだが、「磨く」を「
にがく」と言う、という百關謳カが挙げた例も含め、これだけないとすると不安になってくる。
方言ではないが、「鹿児島」のことを「
麑島」と書いている。
調べたところでは、別に「方言字」というわけではなく、古くからこういう字はあったらしい。
八代には蚊がいるらしい。有名なのか「八代蚊」という語が出てくる。「
やっちろが」と読む。どうやら、「八代」を「
やっちろ」というのは普通のことらしい。
次は『東北本線阿房列車』。いよいよ道の奥である。
まずは福島。「まずは」と言いながら、このくだりがおそらく最も方言色が強い。
百關謳カ、福島に宿を取る。出されたお酒の名前をお尋ねになる。女中の答えが聞き取れないらしい。
「
いねごころ」
「
よね心」
「
よめごころ」
「
いめごころ」
「
ゆめ心」
さて、正解はどれだったんだろう。
それに、最後に女中が言った「
ふどうちず」もわからない。
一戸から川が並行して走る。車掌が言うには「まぶちがわ」で「馬淵川」と書くらしいが、地元では「
まべちがわ」と言う。
が、どうも現在では「まべちがわ」が優勢のようだ。
川の名前の由来はわからなかったが、当て字だったとすれば、それを標準的な読み方に過剰修正したのが「まぶちがわ」だ、という可能性もある。
「金田一」という駅も出てくる。これはどうやら「
きんたいち」が正しいらしいのだが、表記の不統一があるらしく百關謳カとヒマラヤ山系が激論となったそうである。結局、数から「きんたいち」ということになり、内田家では辞書の方も「きんたいち」と呼ぶことになった由。
『奥羽本線阿房列車』、ついに秋田である。
山形に逗留した百關謳カ、珍しくお土産を物色する。
熨梅、なめこの缶詰は田舎のお土産として妥当である。
驚いたのはその次。
方言を染め出した手拭
1950 年、すでに方言グッズが売られていたのである。
これは本当にビックリした。
つづく。