Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第663夜

手話の方言



言語』の先月の特集が「手話学の現在」だった。
 なんでかは自分でもよくわからないのだが、手話に関する文章は気になって読む。この雑誌が割と熱心に取り上げるせいもあるかもしれない。こないだまで、医療側とのすれ違いみたいなことを取り上げた連載もやってたし。
 今回は「日本手話言語地図の作成に向けて」という論文もあったのでその辺で。

 この論文では、1960 年前後に東京・京都・大阪のそれぞれで発行された資料を比べている。
 最初に例示されているのが「猿」で、左手の甲を右手で引っ掻く語形が三地点で共通である。
 しかし「銀行」となると三地点で異なる。
 東京と大阪では、親指と人差し指で丸を作る。これはおそらく「金」であろう。東京ではそれを胸の前で垂直に持ち上げ、大阪では胸の辺りで前方に倒す (お猪口で酒を飲むときと逆の動作)。
 これに対して京都では、スタンプを押す動作を二度やる。
 確かにどれも「銀行」からの連想としてぴったりだとは思うのだが、等価とは言い辛いところは注目点だろうと思う。
 つまり、お金を扱うところは銀行だけではないし、はんこを押すところといって役所を想像することもある。その辺、「『お金』を扱うところなのになんで『銀行』なの」とか、「『役不足』が誤って使われるのは『役が不足』なのか『役に不足』なのか字面ではわからないから」というのと通じる点があるような気がする。そう決まっちゃってるんだからしょうがないじゃん、ということである。

 また、論文では、京都の地名表示「○条」と、「父」「母」について調査している。
 年齢差がはっきり出るところから、標準形の登場が影響を与えた可能性を指摘している。これなんかは音声言語の標準語と方言の関係を想像させるし、映画 (「名もなく貧しく美しく」) のヒットも関係あるとすればまるっきり同じと言ってしまっていいような気すらする。

 さらに札幌と岡山の調査もある。年齢層でわけると、「豚」の語形は 7 つもあるらしい。なんか地域方言どころでないバリエーションだが、これが「語形の変化」なのか「そもそも違っている」のかは論文には書かれていない。
 ただ、「南」「旅行」という単語では、若い世代が全国共通の語を使っている傾向があり、標準化の進行が指摘されている。

 この辺の話題をググってみたら、『これが大阪の手話でっせ 』という本があるらしいことがわかった。
 2001 年というからちょっと前の本で、このサイトでも購入不可能になっているが、書評が興味深い。
 この本を読んだ人が大阪でその手話を使ったところ、「びっくりされて、褒め言葉を頂きました」とある。
 つまり、手話使用者は、自分達が方言を使っている、ということを認識しているわけだ。
 その割に、手話が話題になるとき、方言のことに触れられることはそう多くないような気がするんだが、それは俺が不勉強だからなんだろうか。いや、たしかに「手話 AND 方言」でググるとかなりの記事がヒットするんだけど、「方言があるの?」「世界共通じゃないの?」って質問がやたら多いもんだから。
 一方、「方言はあるけどそんなに困らない」という記事も多い。例えば、大分県聴覚障害者協会のページ
 かと思うと、手話を勉強しようと思う人が、「え、方言もあるの」というあたりで気持ちがくじけたり、ということもあるようで、なんだかミスマッチが生じているように見える。

 なお、そのページで、「木」を外国の人に伝えようとして「キ」を繰り返しても通じないが、手話であれば (どういう語形なのかは書いてないが) 形から想像がつく、とある。これはなかなか興味深い。音声言語は、本質ではなく形を伝えるものなのかもしれない。尤も、手話も、上の「銀行」の例から言えば、形ということになるのかもしれないんだが。

 手話における方言については、上に書いたように大した問題ではないという意見も、地域の方言は大事にするべきだという意見も (既に消えかかっているという話も) ある。その周りで、手話学習志願者がうろたえている構図に見えた。
 それはまぁ他所の地域の人からみたら音声言語でも同じではあろうが、手話の場合、善意が絡んでいるだけに尚更難しい、ってことになるのかもしれない。




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