映画「釣りキチ三平」を見た。
監督の前作「おくりびと」のアカデミー賞受賞の影響もあってか、秋田では中々の盛り上がりである。というより、残念ながらアカデミー賞効果のような気がする。
というのは、長澤雅彦監督の作品に対する反応が今イチだからである。長澤監督は秋田出身で、かつ、作品も「青空のゆくえ」「夜のピクニック」「天国はまだ遠く」と決してマイナーなものではない。だが、俺が見たときはどれもほぼ貸切状態で、その数少ない観客も「映画大好き」な人ばっかりのようで広がりがない。
ここ十年ほど秋田の映画館は業者が出たり入ったりで、まぁ入ってくる業者があるんだからまだましってことだろうが、どうも全体に映画への関心は低いようだ。その割に映画祭イベントはあるってのは、映画好きな人と映画を作る人のほうが、映画を見る (こともある) 人たちよりも、独走といえるくらいに熱心だ、ってことなんだろうか。あるいは、フィルムコミッション関係の活動の方が目立っている、ということなのかもしれない。
もっと言えば、普通の人はなんかイベントでもないと映画なんか見ようと思わない、ってことだろうか。
それはさておき、三平である。
撮影は秋田県内で行われた。パンフレットによれば五城目と由利、県南方面で行われたらしい。
三平の家は、配達された手紙に寄れば増田町にあるようだが、近所で変質者と間違われた魚紳さんを尋問していた警官のもとには「五城目署」からの無線が入っていたし、走っているバスは秋田市と周辺を営業区域とする秋田中央交通だった。まぁ、それはご愛嬌であろう。秋田県民以外は気づかないだろうし、フィクションなんだから。
因みに、
秋田中央交通では、大きな三平の絵でラッピングした「三平バス」というのを多数、走らせている。
「三平バス」という字が大きいので、社名に見える、という意見もあったりなかったりする。
で、方言だが。
残念ながら、「テレビ方言」「メディア方言」だった。「東北っぽいどっか田舎の言葉」って感じで、秋田弁の特徴はほとんど出ていない。
これで「秋田」って名前が出てきてなければ特に構わないんだが、上に書いたとおり手紙は出てきてるし、伝説を追ってきた魚紳さんも口にしている。
尤も、原作の秋田弁も割とその傾向はあるんだが。
ちょっと困った。
いくら陸奥
(みちのく) の僻地とはいえ、昨今、人々が秋田弁を耳にする事は多い。「違う」「違うんじゃね」ということに気づく人は少なくないと思う。
尤も、それを前提として、わかりやすい表現にしたんだ、という判断はありなのかもしれないが。
でも、もうちょっと秋田弁っぽくしてもよかったんじゃねぇかなぁ、と思う。
方言指導は、小柳ふよう、伊藤幸純の二人。どちらも秋田出身の役者さん。
東京から来た三平の姉、愛子の言葉遣い辺りに注目すると、状況によって切り替えている事はわかる。
彼女は基本的に標準語なのだが、後半、三平たちに釣りに引っ張り出された後、時折、方言的特徴が出てくる。
例えば、滝を登らされそうになるシーンがあるのだが、「ここを登るのか」ということで「
こごー!?」と叫んでいたりする。この、鼻濁音でない「
ご」はきれいだった。
愛子が方言を話すシーンは、エンディングまでの間に何度か出てくる。
どうやら地元の人らしい人が何度か出てくるのだが、その人たちもさほど特徴的な話し方をしていない。まぁ、あんまり台詞がないのだからしょうがないのだが。
ロケ地の一つ、五城目の「ネコバリ岩」というのは高さ 6m の岩で、そこに木が生えている。「
根コ張り」だそうである。
映画そのものは、色んな青と色んな緑が重なっていてきれいだし、釣りシーンを中心に CG は決まっているし、ストーリーは王道を行くし、爽快感を得たい人にはお勧めである。
登場人物の中に悪人がいない、というのは、三平を東京に連れて行こうとする愛子の登場には反対だった、というから、おそらく矢口カラーということになるだろうか。
そして何より、須賀健太である。ちゃんと見たのは、“ALWAYS”と「獣拳戦隊ゲキレンジャー」へのゲスト出演くらいだが、こいつはすごい。彼の表情を見ているだけでこっちの頬が緩む。
心を洗う必要がある、と思う人にもお勧めである。
パート 2 をやるんなら急がないと。須賀健太が大人になってしまう。