家族旅行で森吉方面に行ってきた。
昼飯は
上小阿仁の道の駅。売りは馬肉の煮込みだろうが、何度か食っているので、今回はチキンカレーにした。写真を撮るのを忘れたのがものすごく悔しいのだが、鶏モモがドカっと載っている。カレーのほうもスパイシーで旨い。比内地鶏の卵かけごはん、というのもあって旨そうだった。
隣のブースには、道の駅には珍しいコーヒー専門店。注文してからドリップするので急ぎの人には難しいかもしれない。今月のおすすめブレンドが旨かったが、そういうときは何の豆なのか聞いてくるべきなんだな。
伊勢堂岱遺跡の夏季公開期間は終わっており、紅葉を見るための
阿仁スキー場のリフトの営業も終わっている。3 時前に宿についてしまった。事前調査をしないとこういうことになる。
まぁとにかく寒い。この季節だし、山に行くんだから寒いのは当たり前なんだが、週間予報では雪がちらつくと言われたような気圧配置のせいもあろう。
しょうがないので散歩がてらスキー場の上の方まで行ったらロッジだった廃墟があり、その辺には霜柱の残骸もあった。

念のために言うと、撮影時刻は午後 3 時頃である。その時間に氷が残ってるってどういうことよ。
さて、途中をすっ飛ばしてしまったが、阿仁合で 105 号線から折れると谷を縫うような道路が続く。そこに橋がかかってるのだが、その名前がいちいち興味深い。
「北秋田市観光協会【あに】」の
ブログに一覧があるが、最初に「お」とおもったのは「ほんげさま橋」である。
最初のは「寛文坑橋」で、これは阿仁鉱山絡みだろう、ということはすぐにわかったし、次の「スバリ橋」は、意味はわからないまでも「ふうん」程度だった。カタカナなのはアイヌ語由来の知名だろうか、というくらい。
が「ほんげさま」には方言臭がある。
ググってみたら二説あり、「
秋田各駅停車の旅」の「失われた鉄道」−「阿仁鉱山」では、「本化菩薩」としている。鉱山は危険なところだし、そういう信仰関連の名前は大いにありそうだ。
一方、“
HarroPage”では「本家様」としている。
これには、次辺りに出てくる「友子衆橋」について、松田解子の『おりん口伝』にからめた言及がある、という補強要素がある。読めばわかるかしらん。
なお、友子衆は鉱山で働く人たちの組織らしい。「友子」という美人の取り巻きのことを言うのではない。
途中を飛ばして帰途、
協和の道の駅。イラストを描いた奥田ひとし氏の
生家が近い、ということで
超神ネイガーの酒類を置いてるあそこ。
道の駅というとレストランや売店やらを楽しみにしている人がいると思うが、あれは本来はオマケだ、ということは押さえておきたい。本当は道路情報と周辺情報を提供、休憩もできる、という施設なのだ。
で、その本体施設では菅江真澄の足跡を紹介する展示が行われていた。
そこで「スバリ」発見。
現秋田市、旧河辺町の岨谷峡
(そやきょう) について「流れの奥を須婆利という」と書いているらしい。解説によれば、「すばり」というのは両側が絶壁の谷、すぼまったようなところを言うのだそうだ。となれば、阿仁のあの道にはぴったりである。
“
HarroPage”氏は辞書を引いて、ある種の若い男性というような意味もある、としている。
ググったら、インドネシアの地名などに混じって、山岳関係の地名が幾つか見つかった。旧協和町にもそういう地名があるようだ。
それにしても「
ス゛バリ」のタイポが多いのにはびっくりする。
松田解子の名前が出たが、協和町にある「大盛館・松田解子記念文学室」の看板を見た妹が、でかく書かれている「大盛館」だけを見て「
ラーメン屋?」と言ったのは秘密である。
尤も、俺もどういう施設か答えられないので、あとで調べたのだが、「大盛館」をググったら、ラーメン屋とは言わないまでも旅館とかそれ系のデータばっかり、というのは事実である。この博物館にたどり着くには「協和」とかキーワードを追加する必要がある。1 ページ目に出てくるようにしなきゃダメだよ、
大仙市。
この項目、なんと、続く。