Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第619夜

お世話になりました



 伯母が他界した。
 俺が大学に入った上京したときに大分、お世話になった。
 どういうめぐり合わせか、俺の入った寮と伯母のアパートは、歩いて 20 分弱という距離にあり、週末の夜なんかはよく飯を食わせてもらったし、まだレコード全盛のあの頃、買ったレコードをテープに録音させてくれ、と一時間だけお邪魔する、なんてこともよくやった。
 結局、その寮は一年で出てしまった。自分が団体生活に向かない性格だ、ということを知ったのはそのときである。ちょっと遠くなったので、それ以降はやや疎遠になった。迷惑をかけることも少なくなった、という言い訳は可能か。
 伯母はずっと同じアパートにいたのだが、俺が社会人になって数年後、同じ沿線に引っ越した。結局、あんまり行ってない。大人になると色々あるよ、とわかってくれる人であった。

 見舞いから葬式にかけて色々な人に会った。
 その人たちは口々に「ありがとう」と言う。
 俺は以前から、「ありがとう」というのは微妙な言葉だと思っている。微妙といってわかりにくければ、使い方の難しい言葉。
 というのは、所有権の表明だと思うからである。「それはあたしのものよ」という宣言である。当然だ、自分と無関係のものについて「ありがとう」とは言わない。
 かつて上司に、仕事を片付けて報告したら「ありがとう」と言われて大いに違和感および疎外感を覚えたことがある。それは、その上司の仕事かもしれないが、指示を受けて任された以上、俺の仕事でもある。別のグループから緊急支援の要請があって、とかいうのならともかく、同じグループに属して同じプロジェクトをやっているのだ。こういうときの「ありがとう」は微妙である。
 なので、明らかに俺に対する厚意だというのでない限り (別の言い方をすれば、「お前のためにやったんじゃねぇよ」という反応がありうる場合は)「ありがとう」とは言わないようにしている。
 が、今回の件では、「私の友達を看病してくれてありがとう」「私の親戚にお見舞いしてくれてありがとう」という意味である。それぞれが、自分にとって大事な人だ、と表明しているのである。それは、「あんたとは関係の無い人でしょ」と言っているのではなく、俺にとっての大事な人を、その人も大事だと思っている、ということであり、それはむしろ「ありがたい」ことなのである。

 病院に見舞いに行って、改めて思ったのだが、病棟には、入院してきたばかりの人と、退院間近の人がいる。検査入院で旅行感覚の人もいれば、長くなる人もいる。そして、退院できない人もいる。
 そういう人たちが交差する、実になんというか不思議な世界である。

 近所の部屋の人が何かの説明を受けていた。
「俺、目めねもの」と聞えた。
 何ということもない発言なので、さして気にも留めなかったのだが、後になって、「これって秋田弁的発音じゃん」ということに気づいた。
「見えない」が「めね」になっていたようなのだが、それって少なくとも東京方言ではない。
 ただ、老人だったので、単に発音が不明瞭なだけかもしれない。
 それより、俺が、東京の病院で秋田弁っぽい発話が聞えてなんの違和感も持たなかった、ということの方がポイントであろう。
 それは多分、場所が病院だったからである。
 病気になる人、患者の中にはどちらかといえば高齢者が多い。となると、方言濃度も高くなる。だから、秋田弁っぽい発話が聞えても当然、ということだったのだと思われる。

 葬式の後の「直会 (なおらい)」は、涙ぐむ人もいるにはいるが、基本的には笑顔のたえない宴会となる。

 厳密には、「直会」は神事らしい。だから、仏式の葬式の後で膳を囲むことを直会というのはおかしいのだが、まぁその辺りは勘弁して欲しい。仏式では「通夜ふるまい」と言うらしいが、その辺の段取りは秋田県内でも地域によって違う。弔問客がやってくるのは荼毘に付す前なのか後なのか、というあたりも違うそうだ。
 いずれ、どの方言辞典にも載ってないが、秋田ではそういう使い方をするので、寺でやることができなくて料理屋に頼む場合でも、「直会」と言えば万事わかってもらえる。

 で、その席で、どういう流れからか、古い家電自慢になった。
 俺は、ワンドアでモーターが外に出た、したがってちょっとばかりうるさい冷蔵庫を持っている。中古で手に入れたのが昭和の時期なので大変な年代もの。製氷室はあるものの氷は作れないし、アイスクリームを保存しておくこともできない。
 だが、それは、俺が最初に書いた寮を出るときに、その伯母が引っ越し祝いとしてくれたものである。さすがにそれを口にするのははばかられた。
 もっと言えば、伯母は東京に住んでいたため、地元の我々には色々と手の届かない領域があったのだが、その面倒を引き受けてくれた人は、その引越しでトラックを出してくれた人である。

 縁ってことを色々と考えてしまった数週間であった。



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