Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第605夜

役割語再び (後)



役割語研究の地平』について。後編。

「小説における米語方言の日本語訳について (トーマス・マーティン・ガウバッツ)」では、『ハックルベリー・フィンの冒険』を題材に、方言が使われている原文の日本語訳について調査している。
 小説で方言を使うのは、その登場人物がいずれかの地域の出身である、ということのほかに、その方言の持っているイメージを借りることも理由としてある。
 が、しかし、それが「正確に」伝わるかどうかには疑問がある。それは、翻訳そのものが抱える問題なのだが、アメリカ南部の人間が東北弁を話す、ということに対する違和感である。
 これについては、「役割語の個別性と普遍性」で「巨視的コミュニケーション」という言葉が紹介されている。登場人物同士が交わす会話を「微視的コミュニケーション」とするが、「巨視的」の方は登場人物が読者や観覧者に対する情報提供のために口にする台詞である。あまりに説明的なものはともかく、我々がそれを否定することはない。それがないと話が理解できないからである。つまり、説明的な台詞は、送る側と受け取る側とが了解したメカニズムなのである。
 そこで、この『ハックルベリー・フィンの冒険』を使った研究が、方言がどのような効果をあらわしていると考えているかと言うと、距離感である。「ドラマ方言」だの「似非方言」だのと言われる言葉遣いをすることによって、この主人公はストレートな感情移入を拒む、と論者は見ているが、そのことが、アメリカ文化における中心から外れた地域、さらにそこから外れていく主人公というポジションにぴったりだ、と言う。

「〈西洋人語〉『おお、ロミオ!』の文型――その確立と普及 (依田恵美)」は着眼が面白い。
 タイトルにある、『ロミオとジュリエット』の台詞、「おお、ロミオ!」の「おお」を役割語としている。
 これはつまり“Oh”の訳語 (『ロミオとジュリエット』では“O”) としての「おお」である。日本語にも「おお」はあるが、使われ方が違う。論文中では「おお、こんなところにいたのか」という表現が挙げられているが、この「おお」と「おお、ロミオ!」の「おお」は違う。この「おお」は明らかに西洋人が使う言葉というイメージを持っている。紛れもない「役割語」である。

「役割語としての『軍隊語』の成立 (衣畑智秀・楊昌洙)」は、「自分」「であります」について触れている。
「自分」は体育会系的表現としても残っている。
「であります」は、明治初頭には「である」の丁寧語だったものが、「です」がその役割を担うようになったため、特殊な使われ方をするようになったもの、という経緯があるとされている。
 一部では、苗字で自分をさす使い方もあったそうで、「機動戦士ガンダム」における「アムロ、行きます!」もそうなのではないかとしているのだが、この場合の「アムロ」は主語ではなく、誰が出撃しようしているのかを示すための用法のような気がする。
 90 年代に流行った、という記憶もある。浅香唯は自分のラジオ番組などではよく「浅香は」と言っていたし、「セシル」という曲には、「苗字で自分を呼び捨てするいつもの私もおとなしい」という歌詞がある。

「役割語としてのピジン日本語の歴史素描 (金水敏)」は、「あなた食べるよろし」のような、中国人的役割語の起源を、開港直後の横浜で使われていたピジン日本語に求めている。
 これは「横浜ダイアレクト」とも呼ばれていて、当時から色々な本が出ていたようである。研究や実用のための本だけだったものが、昭和の戦前にかけて、フィクションにも登場するようになる。「のらくろ」なども紹介されている。
 なお、孫引きになるが、「ペケ」「チャブ台」「チャンポン」「ポンコツ」などは、この横浜ダイアレクトで生まれた表現だそうである。

 というわけで、駆け足で『役割語研究の地平』を紹介してきた。
 話し言葉と密接に関係している分野だからか漫画やアニメの登場が多いのが特徴。こんな着眼があるのか、という読み方もできる本である。




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