方言関係の本を読んだ。
書名は伏せる。ちょっと、あんまりだなぁ、と思ったもんで。
趣旨としては、方言に関する既存の書籍に対する反論である。著者自身は研究を職業にしている人ではないが、その本を読んだ限りでは、かなり詳しいし色んな資料に当たっているらしいことはわかる。紹介されている研究内容も正しいように思われる。
が、姿勢が。
卑屈と言うか慇懃無礼と言うか。
自分の論が採用されないと、お偉い先生方はこんな在野の好事家の言うことなど相手にしていられないということだろうか、などと悪態をつく。
それが、なんかの説を紹介するたびに繰り返されるので、しまいにはうんざりしてくる。白状すれば、途中で、読むのやめようかと思った。
なんなんだろうね。よほど、自分の説が容れられないのに苛立っているのか。
本人は、「反権威」で、有名な辞書に異議を唱えているつもりみたいなのだが、別の場所では自分の説の根拠として取り上げていて一貫性がない。
勿論、一定の評価を得た辞書であればすべての項目が間違っているということもないだろうから、項目によって扱いが違ったりすることもあるんだろうけどさ。
「偉い」の俚諺形ってないのかと思って
ググったんだが見当たらず。「偉い AND 方言」では、「疲れた」「大変だ」という意味の「
えらい」しか出てこない。
角川新版古語辞典によれば、「大変」「ひどい」「苦しい」という変化をたどったものか、とのこと。つまり、元は同じ語だった、ということらしい。
権威で思い出すのが「民間語源」である。
goo の
大辞林で引くと「語源俗解」に飛ばされるが:
とある。同義語が 4 つもあるってのもすごいが、
Wikipedia には「民俗語源」というのもある。
この語を使い始めたのは柴田武氏だったと記憶しているが、この本の著者あたりはきっと、この言葉は大嫌いだろう。確かに、官に対する民というのが元だろうから、役人がそんなに偉いのか、って話にはなる。
それを言ったら「民間療法」ってのもそうだが。尤も、辞書の説明だけ見てると、そういうニュアンスはないかのようにも見える。
公になったものに対する意見という方向に話を向けると、ドラマに紹介する方言に対する非難、というのはよくある。
ここで福井の言葉について触れる前に終わってしまったが、「ちりとてちん」の言葉遣いも、ネイティブからみると噴飯ものであったりするらしい。
何度も書いているように、それはしょうがないのだ。
まず、リアルにやったら全国に通じない番組になってしまう。自分が使っている言葉を国内に流すのに字幕が出るのとどっちがいい?
それに、方言の違いはアナログなものだから (デジタルなこともあるが)、「あたしの周りにはそういう言葉遣いをしている人はいない」と言ってもはじまらない。それは、「その人の周りにはそういう言葉遣いをしている人はいない」という意味しか持ち得ないのであって、「そういう言葉遣いをしている人は一人もいない」ということにはならないのだ。
極端なことを言えば、和久井映見が演じた糸子は、今でこそ南部の小浜に住んでいるが、県北部の鯖江出身である。そういう人の言葉遣いの「正確さ」をどうやって保証、検証するのか。あるいは、大阪暮らしの長いビーコ、東京に出たエーコの言葉遣いの変化は。
*1
この人の話じゃないが、なんらかの発言手段を持っている人は、「俺があのとき言ったのに」というようなことを言うことがある。俺は気づいていた、ということなんだろうけど、それを採用するのが当然だ、それを怠ったのだから失敗して当たり前、という意図を感じてうんざりすることがある。
逸れついでに言うと、ここ数ヶ月で意味の変わった言葉が、「良識」。
どちらも金融機関関係で政治家が使った言葉なのだが、自分の提案が通ることについて、「議員が良識を発揮する」というような使い方。
つまり、自分の言うことに従うことが「良識」なのだった。大辞林の: