こないだ池袋に用事があったので、足を伸ばして
埼玉県立近代美術館に行って来た。
サライで熊谷守一展の紹介をしていて、掲載されていた猫の絵がものすごく可愛かったので、興味を持ったのである。
ややマンガチックな感じもある絵で、猫の持つ愛らしさといささかのマヌケさを余すところなく描き出している感じ。芸術品ゆえここにコピーするわけには行かないが、
熊谷守一記念館の作品紹介のページでその一つが見られる。
豊島区立 熊谷守一美術館にもある。
ちょっと図録を買う余裕がなかったのが悔やまれるが、一覧だけはもらってきた。
「
げんげ」という絵がある。
熊谷守一は岐阜の人で、秋田出身ではない。したがって、「意外に」「妙に」という意味の副詞ではない。
絵を見れば一目瞭然、「れんげ」のことである。
なるほど岐阜方言か、と思ったのだが、さにあらず。調べてみてビックリ、あの花、正しくは「げんげ」という名前だったのだ。
Wikipedia によれば、「マメ科ゲンゲ属に分類される越年草」で、そもそも「レンゲ」「れんげ」で検索したのでは、そのページに (簡単には) たどりつけない。「レンゲソウ(蓮華草)、レンゲ、とも呼ぶ」とあったきりで、一貫して「ゲンゲ」と呼んでいる。
確かに「ゲンゲ」と「レンゲ」は音が似ているから、どっちかがもう一方の変化したものだというのには納得が行くが、さてどっちが先なのか、というと、二説あって困ったことになる。
どちらも、「蓮華」、つまり泥の中に咲く方の「蓮の花」を介していることに変わりはないのだが、まず「蓮華草」という名前があってそれが「げんげ」に変わったというのと、「げんげ」の花が「蓮華」に似ているので「れんげ」になった、というの。
だが落ち着いて考えてみると、この説では「れんげ」と「げんげ」が似ているのは偶然と言うことになる。だけど、それにしちゃ似すぎてないか。音が似ているから当てられた、ということもあるかもしれないが。
「春の小川」という童謡は、はっきりと「れんげ」である。これまた
Wikipedia だが、作詞は長野出身の高野辰之、代々木にある川がモデルだそうだが、ここから地域性を見るのはちょっと無理か。1912 年の歌。
ちなみに、岐阜県の花。
シロツメクサは「オランダゲンゲ」とも言う。
『秋田のことば (秋田県教育委員会編、
無明舎出版)』を繰ってみたのだが、花の方言があんまりない。
オミナエシが「
こがねばな (花が黄色いことから)」「
ぼんばな (夏に咲くのでお盆に供えることから)」。なお、「
ぼんばな」は地域によってミソハギのことを指す場合もある。ミソハギってなんだか知らないけど。
カタバミが「
しかしか (噛むと酸っぱい)」「
はこんぺ (ハコベと同一視された)」「
まるぱ (葉が丸い)」。
タンポポが「
くまくま」「
てでぽっぽ (山鳩が鳴く季節に咲く)」「
びびばな」。
ツリフネソウが「
からすみず (山菜のミズに似ているが食べられない)」。
ナズナの「
しゃみせんこ」は、ペンペン草と同じ発想。
ハナショウブの「
かっこ」はカッコウが鳴く時期に咲くから。
ヒルガオの「
アメフリバナ」は梅雨の時期に咲くから。
ホウセンカの「
レンガ」「
レングワ」は「レンゲ」と似ているが似ているだけだろうな。
ざっとしか見てないからこれが全部ではないと思うけど、なんで少ないんだろうなぁ。花を愛でる余裕がなかったんだろうか。
熊谷守一の絵には「ツツジ」がいくつかあるのだが、表記は「つつじ」だったり「つゞじ」だったりする。
この「ゝ」とか「ゞ」は一体なんと読むのだ、というのは時折クイズになったりする。
答えは、「読めない」である。
これは「踊り字」という記号なのだ。その問いは‘?’をなんと読むか、というのと同じ。「々」も同様。
美術館を出て駅に戻ると交差点に飲み屋がある。朝一で行ったので当然やってないが、ガラスに仮面ライダー ブレイドを先頭に特撮フィギュアがびっしりと並んでいてびっくりした。誰の趣味なんだろう。
今度は開店している時間帯に行って見たい、と思ったが、今年は今のところ上京する予定がない。
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第593夜「権威」へ
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