Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第590夜

TSS の KSN



 大修館書店の『KY 式日本語』を呼んだ。
 例によって bk1 に他の本と一緒に注文したのだが、品切れって事で、これだけ後から別送されてきた。本当に売れてるらしい。
 どういう人が読んでるんだろうね。まさか本当に辞典として使ってるわけじゃないよね。

“ATM”は「アホな父ちゃんもういらへん」だそうだ。出所は CM らしい。
“IC”は「いらんことしぃ」。“C”が「しぃ」になっている。基本的にローマ字表記の頭字語である KY 語の造語法の例外である。
 例外といえば、そもそも方言が入っている語自体がほとんどない。
 ではなんでこれをここで取り上げるのか。
 地元の新聞に、この『KY 式日本語』の広告が載った。一面の下 1/5 を使った大きなものだが、その半分が、バリトン伊藤監修の「KY 式秋田弁」だったのである。
 載ってたのは 4 つ。全部を紹介するのもどうかと思うので一つに絞ると、“TTD”は「てらってらでぇ」。「道路が凍ってつるつるの状態」という意味。この話題は二重に解説がいるな。
 出稿したのは大修館らしいのだが、「ジュンク堂書店秋田店、高桑書店 (秋田の TSUTAYA フランチャイジー) 各店にてフェア実施中」とある。
 ってことは、きっと大々的なキャンペーンで、各地で「KY 式○○弁」という広告が出されているに違いない、と思ってググったら見当たらない。個人で作ったのはたくさんあるが、『KY 式日本語』の広告はどうやら秋田弁だけらしい。
 どういうことなんだろうね。秋田でだけ売れてなかった? こういう仕掛けをしようと思ったのが秋田だけだった?
 ほかの地域でそういうのがあったら教えてください。

 で、KY 語だが、俺は単なる言葉遊びだと思っているので、別に、日本語の将来がどうの、などと言う気はまるっきりない。5 年も経てば忘れられてると思うし。
 この本にもある通り、これは仲間内の表現である。ものすごく文脈依存度が高い。これは、この本の索引を見ると、“PTA”が表す表現が 4 つ、“ON”が 5 つ、“MM”に至っては 7 つもあることからわかる。よほど理解し合っている関係でないと使えない。むしろ指弾されるべきは、それを表に引っ張り出して「KY 内閣」という表現をメディアに載せた人であろう。家庭内で使っている表現を、学校内で言いふらされたようなもんで、これで叩かれる若者もいいとばっちりである。
 今、「若者」と書いたが、この本によれば、確認できる最古の KY 語は、日本海軍で使われていた“MMK (モテてモテて困っちゃう)”“KA (かみさん)”などだそうである。つまり、今に始まったことではないわけだ。騒ぎになるかどうかは別として、現象面では、何を今更、である。

 興味深いのは、文の形容動詞化だ、という話。つまり、「空気読めない」は文だが、これを“KY”とすることによって、「KY な奴」という使い方になる。形の上では形容動詞なのである。外来語の形容詞はカタカナで日本語になった場合、形容動詞になるが、それと同じ、形容動詞の異様に高い生産性と結びついた例だといえるだろう。

 ついでなので、中の表現にも触れておこう。
“KS”―「熊本は好きか」。用例を見ると、遠まわしの転勤内示らしいのだが、なんで熊本。神奈川でも香川でも鹿児島でもない。おそらく、そういう語を投稿した人がいた、というだけのことなのだろう。“KY”などと違って一般性は恐ろしく低い。こういう単語は多いが。
“NPK”―「ナプキン貸して」。生理用品の貸借依頼。言いにくいことを KY 語で表現した好例である。これにケチをつける人は、排便施設のことを“WC”だの「お手洗い」だの「トイレ」だのと言ってはいかん。そもそも生理用品としての「ナプキン」自体が、直接に言及することを避けた表現である。
“KK”―「カツ丼つき かけ蕎麦」。俺の感覚では、「かけ蕎麦つきカツ丼」ではないかと思うのだがどうか。「カツ丼つき…」ってことは、メインが「かけ蕎麦」ってことになるぞ。
“XG”―「クリスマス限定」。臨時カップルのことだろう。KY 語をバカにするのもいいが、少なくとも、“X'mas”って、いくら言っても減らない誤記よりはまともだと思う。
“PN”―「パンダの乗り物」。子供用の遊戯施設にあるあれ。意味はわかる。わかるが、若者達はいつこれを話題にするのだ? そういう語は“MHZ (まさかの匍匐前進)”など山ほどある。
“ODA”―「お金持ちだからあげる」。巧い。というか、洒落にならない。風刺が効きすぎてて、KY 語っぽくない。

 大体、文脈依存度が高いのは日本語の基本的な特徴であると同時に、日本社会の特徴でもある。そういうルールを守らないと、「場を乱す」「雰囲気を壊す」と言って大昔から非難したり排除したりしてきた。それが「空気を読まない」になったとたんにゴチャゴチャ言うのはどうかしている。いや、それとも、KY 語も、それに対するアレルギーも、正しく日本的だ、ということになるのか。
 北原氏は、本の中で、今の若者は異なる世代の人と話す機会がない、と指摘、KY 式流行の原因の一つと見ている。それはその通りだと思うが、そういう社会にしたのは大人の方であろう。言語は社会状況に反応する。KY 語がイヤなら、なぜ KY 語が通用するような社会にしたのか。
 その回答を見聞きしたことは一度もない。*1




*1
 若者たちの携帯電話のマナーを指弾する話を聞くたびにいつも思うのだが、ポケベルの全盛期、彼らがメッセージを送るために公衆電話が占拠されて困った、という話があった。その彼らが PHS や携帯電話を手にしたらどうなるか、ということは当然、想像できたはずである。なぜ、誰も手を打たなかった? (
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