Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第587夜

ホテルジューシー (後)



 さて、坂木司の『ホテルジューシー』をネタにした琉球方言の話、第二週。
 先週はお菓子類と飲み物の話しをしたが、酒を忘れていた。

オトーリ」というのは、参加者全員が、酒 (泡盛) を一杯ずつ飲んでいく、という食習慣、いや飲酒習慣。一気飲みで、しかも、一周で終わらない。その周回のリーダーが次の周回のリーダーを指名する、というやり方で延々と続く。
 小説の中では、あるパーティで、乾杯の後に「オトーリはなしで」と宣言している。つまり、必ずしもみんなが歓迎するイベントではない、ということだ。そりゃそうだろうな。

 肴には「ドゥルワカシー」。田芋を豚で煮てつぶした、キントンのようなもの。「泥沸かし」。
 芋だけではなく、「カステラカマボコ」というものも入っているらしい。
 カマボコと言っても、板わさとかになる真っ白いあれじゃなくて、正月とか引き出物とかに出てくる甘い奴。
 と聞くと、「ドゥルワカシー」も甘いのじゃないか、って気がしてくるんだけど、それって酒のアテになるんだろうか。
 いや、泡盛くらい強烈だとそのほうがいいのかもしれないが。
 おめでたいときに作る料理らしい。小説でもそう言われている。

 さて、主食方面。
 タイトルにもなっている「ジューシー」は、沖縄風炊き込みご飯のこと。豚の茹で汁で炊くらしい。字は「雑炊」。決してツユダクのご飯なのではない。
スーチカ」は「豚を茹でて脂を抜き塩で漬けたもの」だが、「塩」で「漬けたもの」ということらしい。ググると、かならずしも豚のことではない、というような記事も見かける。
 という具合に、沖縄と言えば豚である。長寿の秘訣は豚肉と昆布だ、などとよく言われる。
 しかし、ポークは違う。ただの豚肉ではない。これは、豚の挽肉の缶詰。ネット界隈の人なら“SPAM”というのは当然、知っていると思うが、一般名称として「ランチョンミート」と呼ばれているもの、あれが「ポーク」である。
 これを具としたおにぎりが、「おにポー」として登場するが、ネット上では、「おにポー」は沖縄では通じない、という記事も散見される。
タコライス」は去年、すき家が期間限定メニューとしてやったし知っている人も多いと思うが、タコスの具をのっけたご飯である。「ある」とか書いてるが、俺はそのすき家がやるまで知らなかった。例に漏れず、蛸を使った何かだと思っていた。80 年代に生まれたものだそうだから、ごく最近である。
 さて、「チャンプルー」。
 これはなんだか語源不詳。「まぜたもの」「炒めたもの」という説明はあるが、ほかの語のようにどういう漢字を当てるのか書いてあるところを見つけられなかった。日本語じゃないのかもしれない。
 まぁ、とにかくそういうもの。ゴーヤを使えば「ゴーヤチャンプルー」、素麺を使えば「ソーミンチャンプルー」、もやしを使えば「マーミナチャンプルー (豆のチャンプルー)」。
 なのだが、詳しく見ていくとどうも豆腐 (もちろん、島豆腐) を使っている、というのが必要条件のようで、したがって、素麺の焼きソバみたいな感じの「ソーミンチャンプルー」は「チャンプルー」ではないので「ソーミンタシヤー」と呼ばなければならない、というような話もある。
タシヤー」が何かは不明。いや、炒めもの、って説明はあるけど。
 それを調べていたら、「ソーミンプットゥルー」という語も見つかった。「プットゥルー」はなんか粘り気が合って固まったもの、ということらしい。焼きソバほどパリっとしてない、ってことらしい。
イリチー」ってのもある。炒め物ではあるが、油でやるというより、豚の煮汁で炒め煮、という感じのようだ。麩を使ったのが「フーイリチー」。麩と言っても、しっかりした食感の由。昆布入りが「クーブイリチー」。
チャンプルー」で言うのを忘れたが、「チャンポン」という料理もある。具沢山の麺類ではなく、こちらはご飯もの。要は、「チャンプルー丼」という感じのようだ。で、「チャンプルー」と「チャンポン」は、もとは同じ単語らしい、という話。
 主食には、汁物が不可欠だが、汁といえば青海苔。「アーサ」は「あおさ」。
 漬物には「チキナー」。想像通り、「漬け菜」で、漬けられているのは「からし菜」の仲間、「島菜」。

 さて、駆け足で『ホテルジューシー』に出てきた琉球方言を並べてきた。
 というより、料理紹介をしただけのような気もするが。
 ほかには、「おやすみなさい」という意味の「晩安 (ワンアン)」、「袖擦りあうも他生の縁」よりもっと強い「イチャリバチョーデー (行き会えば兄弟)」などなど、オキナワンスピリットな表現もたくさんある。
 それでも食い物に戻ると、これだけのバリエーションに触れた主人公はこう思う。「主食がご飯であることの方が不思議」。こういう、「私にとっての標準がいつでもどこでも標準だとは限らない」という意識は重要である。
 そもそも、我々は「主食」というとご飯を思い浮かべるが、では、欧米ではどうか、というとそれはパンではない。欧米なディナーではパンは必ず出てくるものではないのである。「主食」を和英辞典で引くと“staple food”という語が出てくるが、これを英英辞典で確認すると、例として“flour, rice, corn”と並ぶ。「小麦、米、とうもろこし」である。「パン、ご飯、コーンフレーク」ではないのだ。人によっては、塩なども含まれるとすることもある。
 というわけで、方言と結びつけたところで一段落とする。いや、俺自身はこじつけだとは思っていない。

 年のせいか本とか映画とかテレビで涙ぐむことが増えてきた。ことに、坂木司の場合は絶対にそういうポイントがある。
 今回の小説で言えば、「越境者」という章がそれだった。ネタばらしになるので書かないけれども、ゲストの少女二人の行動の真意に気づいたときには、あ、っと思い、ぐわっと目のあたりが熱くなった。
 是非読んで欲しい。




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