せっかくなので、『どうなる日本のことば 方言と共通語の行方 (佐藤和之・米田正人、
大修館書店)』をネタに、ネイティブと非ネイティブというような観点の話をしてみようと思う。
この本は、全国 14 地点
*1での調査を基にした報告。実施されたのは 94 年から 95 年にかけて (ちょうど、俺が秋田に帰ってきた頃) で、ちょっと古いのだが、本が出たのは 99 年の暮れ、まぁ、研究の報告や活用というのはそんな感じのテンポである。
途中に、いわゆる「方言ブーム」があったりして、方言の「モノ」化、客観化が進んだのではないかとも思われるのだが、それはひとまず脇に置く。
その 14 地点に関するセクションの中で、時折、非ネイティブのデータについて言及がある。
まず、札幌。
北海道の言葉はよく標準語に似ているといわれるが、実際、高校生で 74%、高年齢層で 82% がそう考えている。
が、非ネイティブでは 30% と大きく下がる。これは、実際の標準語・全国共通語を知っているかどうかの違いであろう。
同じことが、その 74% と 82% の違いにも言える。この本の中でも言及されているが、若年層ほど自分が標準語を自由に扱えるとは思っていない、という傾向がある。これは、高年齢層が「方言狩り」の時期に教育を受けたことのほかに、現在の標準語をどれだけ正確に掴んでいるかという違いによる。若者の方が理解が正確であるため、自分の言葉がそれとは違う、ということがわかるのである。
仙台では、地域のイメージに差がある。ネイティブは「粘り強い」というような東北的イメージを強く持っているが、非ネイティブはそう思っていない。というのは、宮城の非ネイティブの大半は東北出身者で、つまり彼らにとって宮城 (具体的には仙台) は都会なのである。
ここで脇にそれて、96 年の NHK「全国県民意識調査」のデータを引っ張ってみる。
移住するとしたらどこがいいか、という質問があるのだが、宮城を除く東北五県で宮城がトップ (青森だけ二位) を占めている。全国平均と比べると、その差は歴然としている。参考に東京はどうか、ということも挙げておく。
なお、各県とも回答数は 600 程度なので、0.2% というと、二人か三人である。
京都。
「きれいだ」「丁寧だ」という支持は非常に高いが、では「京都弁が好きか」と聞くと、「はい」は 34%、つまり 1/3 しかない。
「京都が好きか」を問うと、ネイティブが 89% であるのに対して非ネイティブは 46% と半分近くになる。この 14 地点の中では、弘前・大垣と来て、鹿児島と並んで下から 3 番目だそうである。
よそ者に優しくない、というイメージどおりの結果。
なお、「京都弁が好きか」に対して、活躍層 (青年ないし中年) が 66%、高年齢層が 78% で「はい」と答えているのに対して、高校生は 26% である。これも下から二番目の低さで、京都弁の複雑なポジションが伺われる。
方言に対して持つイメージは、ネイティブと非ネイティブとで食い違う。
大雑把に言えば、「荒っぽい」とか「汚い」というような評価は、非ネイティブよりもネイティブで高くなる。一方、「味がある」「素朴」という評価もネイティブで高い。
ネイティブはどうやら、自分達の言葉について、いいにしろ悪いにしろ過大な評価をしているらしい。別の項目で、方言に対するイメージがきれいに分類可能で、どうやらステロタイプ的になっている、という指摘があるのだが、これとの関連も想像される。
さて、非ネイティブが好きと答える方言はどこか。
福岡 58%
*2、東京 54%、札幌・高知・那覇 44% というあたり。
本では、東京は実質的に標準語、札幌も似たようなものであり、あとの三地点は強烈なイメージの有無、ということで説明している。
一般的に、非ネイティブの「好き」の割合が、ネイティブよりも高くなることはない。本には活躍層のデータしか載っていないが、東京が 46% と 52% で比較的、近いものの、これはむしろ、ネイティブの「好き」が半分程度しかない、ということに注意するべきだろう。
大きくは、ネイティブが好きだと思えば、非ネイティブも好きだと思うようである。上の地点では、福岡 86%、札幌 74%、高知 72%、那覇 86% である。
だが、恐ろしく離れているところもあって、松本が 84% と 6%、弘前が 78% と 28% である。好かれているはずの那覇だって、42% もの開きがある。
その方言だけ、住民だけの調査をしていたのでは見えないものが、非ネイティブという視点を挿入することで見えてくる。
たとえば、那覇や弘前の差については、好感は持っても実際にその言葉を操り聞き取ることの難しさが立ちはだかるだろうし、東京については「なんでも東京」という風潮に対する意識、地元に帰ったときに「お前もか」と言われたりすることへの警戒なども考えてみるべきかもしれない。
というわけで、やっぱり非ネイティブにとって方言はある種の障壁である、ということを確認した。まさに「手形」なわけである。
これを書こうとして NHK 調査を眺めていたのだが、隣県に対する関心の度合いが、隣接しているかどうかで如実に違うのだ、というのを目の当たりにして驚いた。