Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第571夜

方言主流都会



 今年 4 回目の東京行き。
 今回は、ゴダイゴSTARDUST☆REVUE のコンサートが目的。
 ゴダイゴは、一昨年の再々結成以来何度かコンサートをやっているが、どうもツアーにならない。仙台にも札幌にも行かないので、俺みたいなのは東京に行くしかない。かと言って、毎度毎度、上京していたのでは破産してしまうので、ここぞというときに絞るのだが、今回はスタレビと二日連続、しかも金曜と土曜。呼ばれているとしか思えないので、会社を休んで渋谷と新宿へ。
 これだと夜の用事だけなのだが、これまたうまい具合に、「仮面ライダー THE NEXT」「0093 女王陛下の草刈正雄」と、秋田には来そうもない映画の上映時期に当たっているので、こちらも鑑賞。充実した連休であった。

 何度も書いているが、東京では色んな方言を耳にすることができる。
 大阪弁 (だと思う) が耳立つのはいつものことだが、今回は、関西っぽいけどちょっと違う、北陸か山陰か近畿か、ってな感じの言葉も聞いたような気がする。
 この人たちが、東京在住者なのか旅行者なのかはわからない。
 俺がそうであるように、宿においてきたりコインロッカーに荷物を放り込んだりして身軽になって移動する、という人は多いわけで、外見から旅行者かどうかを判断するのは難しい。また、キャスターつきのバッグはすっかり定着しちゃって、仕事で電車で移動するくらいでも、ちょっと荷物が多い人なら使うようになってるからこれまた旅行者かどうかの手がかりにはならない。

 秋田にいて他の方言を耳にすることはほとんどないことに改めて気づく。
 まず考えられるのは、秋田へ転入してくる人はそう多くはないだろう、ということである。
 さっそく秋田県のホームページに行って去年の人口動態を確認したら、去年一年間に秋田県に転入してきた人は 15,561 人。県人口は、1,134,036 人ということだから 1.3%、つまり、県民をランダムに百人掴まえてくると、そのうちの一人は昨年の転入者だ、ということになる。転出者が 21,101 で 1.8% ということは、その百人の内の一人もしくは二人は、今年中に引っ越していく、ってことでもある。
 転出者の中には、秋田で育ったが進学や転勤で出て行く人と、転勤で秋田に来たがまた別へ転勤していく人、というのも含まれる。つまり、転入者がずっと秋田にいるわけではない。そうしたことも含めた変化が 1% とか 2% とかいう数字なわけ。これは果たして多いのか少ないのか。
 ちと古いデータだが、NHK が 1996 年に実施した県民意識調査のデータによれば、他県出身者の比率は、全国平均で 27.6% なのに対して、秋田は 8.2% である。東北では、宮城が 19.7% なのをはじめどこも 10% を超えているのに、秋田と山形だけが 8% 台。
 これはもう、秋田県は秋田人で占められている、と言っていいであろう。ほかの地域の方言を耳にしないのも当然である。
 その結果、佐藤和之氏の言う「方言主流社会」に分類されることになるわけだ。
 他県出身者が、自分の方言は、利便性の点からも、精神的な点からも、非常に使いにくいだろう、ということは想像するまでもない。

 同じことが京都や大阪にも言えるのではないか。つまり、都会ではあるが、その地域の方言を使うことを要求する、まぎれもない「方言主流社会」なのではないか、ということ。
 ということで、『どうなる日本のことば 方言と共通語の行方 (佐藤和之・米田正人、大修館書店)』を引っ張り出してきた。やはり京都は「方言主流社会」に分類されている。
 その逆、「共通語中心社会」の筆頭が東京である。
 共通語中心とは言いながら、それは共通語に対して利便的なプラス評価をする、ということで、裏返せば、地域方言の使用を要求しない、ということである。
 つまり、東京は自分の方言を使いやすい場所なのだ。おそらく、自分が生まれ育った場所の次に位置するところだろう。
 そう考えると、東京で大阪弁が頻繁に聞こえてくるもうひとつの理由が見つかったことになる。
 だとすれば、東京の他県出身者は 42.9% にも上るから、たとえば山手線をガッと持ち上げたら、そのうちの五両分くらいは他県出身者、あの中は方言の坩堝になるはずだが、実際はそうではない。ここから先には、個々人が自分の方言の使用に踏み切るかどうか、という問題が残っている。
 そうした遠慮というか枷が外れるのが、空港や駅の長距離列車用ホームなんだろうな、きっと。

 その山手線に乗って、楽譜を探しにヤマハ銀座店に行こうとしたのだが、現在、工事中で仮店舗に移動している。その場所を確認するために初めてケータイ電話でホームページを見る、ということをしたのだが、場所を示すページが、文字も地図も画像になっており、ケータイの小さな画面では判読不能。辛うじて線路と道路だけはわかったので、手持ちの地図とつき合わせて歩いたのだが、よくたどりつけたもんだと思う。
 前から、字を画像にするのは、検索できないし、コピペもできないからどうかと思っていたのだが、その懸念が現実化したできごとであった。



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