宮尾登美子の『
天璋院篤姫』を読んだ。
きっかけは、まぁ単純で、来年の大河ドラマだから、主役が
宮崎あおいだから、なのだが、それにくわえて和宮が
堀北真希だ、ということを聞いたから。
更に詳しく言えば、俺はこの二人の名前を知っているが、じゃ何をした人か、と問われても全く答えられない、ということに気づいたからである。
で、読み終わってわかったことは、このドラマはどうやら一年の放送予定らしいが、おそらく夏から初冬にかけては延々、天璋院と和宮、あるいは、銭形愛 vs. 銭形舞の対決が続く、ということである。
一説によると、大河ドラマでは幕末ものは視聴率が取れないのだそうである。こないだの「新撰組!」は例外で、それが長い天下泰平の終幕という「滅び」の物語だからだそうだ。赤穂浪士もお家断絶・全員切腹という「滅び」だが、これは大願成就した末のことだからいいらしい。
どういう風になるんだろうなぁ。もう放送開始まで半年をきったというのに、配役が全然、伝わってこないのだが。
方言の観点から言っても最も興味深いのは、篤姫が島津斉彬
(なりあきら) の養女となり城に入った後、教育係の幾島に、訛っている、と指摘されるシーンである。
篤姫は、
と答える。実利的である。篤姫が、島津の分家から本家の養女になったのは、十三代将軍徳川家定の正妻にするのが目的だったから、それが当然である。幾島は更に、「薩摩弁は一日も早くお忘れになりますように」と言い、さらに説教が続いたので篤姫は腹の中で、こいつとは口をきいてやらん、と決心する。まじで気が強い。
ここでは、薩摩弁云々ということには全くふれられていない。自分の言葉がどうであろうと、江戸の言葉をマスターするのが急務だからである。ある意味、非常にビジネスライク。
将軍家御台所になるには、いくら島津本家でもだめで、篤姫は一旦、五摂家の一、近衛家の養女になるが、京都の言葉のことは、ここではスルーされている。大体、言葉遣いが問題になるほど滞在していない。京ことばが出てくるのは、和宮の登場後である。
鹿児島の言葉は、幕府のスパイに情報を探らせないように作られた言葉だ、という俗説が生まれるくらい、江戸の言葉から遠く離れていて難解だ、ということになっているが、薩摩での登場人物はさすがに武家の人々らしく、ほとんど薩摩弁を話さない。尤も、これは小説だから、その辺がどこまでリアルなのかは俺は知らないが。
最初に登場したのは、篤姫が子供の頃の養育係、菊本の「うんだもう」である。子供を叱るときに使う言葉らしい。ニュアンスは説明がないので不明。ググったけど、見つからず。
篤姫は「おやしやすい」子供だったらしいが、これもわからない。「生やす」で「おやす」という語はある。育てやすい、という意味だろうか。古語辞典としては、「髪を伸ばす」というような意味らしいのだが。
薩摩弁を使うのはこの菊本くらいである。
篤姫の成人の日に、「よかおしょうがっどん、おいをやったもんせ」と言ったらしい。正月のことだから、前半は「いいお正月」だろうが、後半がわからない。「お祝いしろ」ということだろうか。
後の場面で、篤姫から飴をもらって、「せっがいアメでございますね」というシーンがあるのだが、これもわからない。
鹿児島ということでは、錦江町で節分の頃に「鬼火焚き」というイベントがあり、これが「せっがい」らしい。小説中のシーンも節分の時期なので合っているのだが、そこで飴が振舞われるとか名物だ、とかいう記述は見当たらなかった。
なお、祭りの方の「せっがい」は「季節変わり」だそうである。鹿児島弁の音韻規則にのっとっている。
また、篤姫への教えとして、「一方聞いて沙汰すんな」、つまり、一方の当事者だけの話で判断するな、という口癖があったらしいのだが、この「すんな」も薩摩の言葉なのかどうかはちょっと疑問。
「ビンタ」というのが登場する。
これは頭のことで、島津斉彬の英明ぶりを、「二つビンタ」つまり「頭が二つあるようだ」と表現したらしい。
現在では、カツオの頭部の料理、「ビンタ料理」という形で残っているようだ。
勿論、頬をひっぱたく「往復ビンタ」の語源だ、という説もある。維新後の軍隊から広まった、という説明がある。
と、ここまでで一回分の量となった。来週に続く。
まだ上巻が終わっていないが、もう篤姫は入與 (にゅうよ) してしまっているので、方言濃度は低くなる見込み。