Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第549夜

夢に見る方言



 こないだ妙な夢を見た。
 会社の飲み会で、方言談義をしているらしいのだが、若いのが、陶器の縁のことを「ほや」だか「はや」と言うのだ、と力説していた。
 また、別の若手は、おまわりさんの俚諺形について語っていたが、なんという語だったかは覚えていない。

 陶器については、「なんでも鑑定団」のおかげで色々な術語が有名になった。「高台 (こうだい)」なんつーのもしょっちゅう耳にするが、縁のことについては特別な呼び方はないようである。
 サライで焼き物の特集をしていたのでそこから引くと、瀬戸の焼き物工場はかつて「モロ」と呼ばれていたそうである。工場というより、「陶房」と当てているサイトが多い。語源不明。
 同じく瀬戸で、焼き物を窯に入れたり出したりする節目で陶工たちに振舞われた五目飯のことを「ゴモ」と言う。ゴモを食った回数が、陶工の経験の目安だったそうだ。

 同じように「おまわりさん」の俚諺形も見つからず。
 でも、お巡りさん周辺には方言現象が見つかる。
 これは、明治期の薩長政権に源を持つ。
 まず、警官の別称として使われる、麻宮サキがその手先になったという「マッポ」という語があるが、これは「薩摩っぽ」から来たのだ、という説がある。これは説の一つで、ほかに、「張り込みのことを『まつば』と呼んでいたことから」「待つことが仕事のポリスだから」などなど諸説紛々。
 これは確かな話だが、「おいこら」という呼びかけ、制止は鹿児島方言から来たものである。「こら」は「これは」で、本来はマイナスのニュアンスは持っていない。
 Wikipedia の「警察官」によれば、「鹿児島警視に茨城巡査」という言葉があった由。鹿児島出身者が昇進できる、というのは、その薩長政権とかかわりがあろうが、出世できない方の代名詞にされてしまった茨城については、茨城出身者が多いから、という説明をあちこちで見かける。団塊の世代、みたいなもん?
「警官」は正式な用語ではないらしい。

 ケータイ刑事を見るようになったおかげで、お巡りさんの階級を覚えることができた。10 段階もあって多く見えるが、一つの名前に上下の格がある、という感じで捉えると楽。
 巡査(・巡査長)・巡査部長、警部補・警部、警視・警視正・警視長、警視監・警視総監てな感じ。
 警視正で署長、警視長で県警本部長、というあたりだが、ケータイ刑事の面々では、テレビ シリーズが終了した人たち (黒川芽以堀北真希夏帆小出早織) は警視監で、その上は彼女達の祖父である警視総監だけなので、出世の可能性はかなり低い。
 スケバン刑事の原作では、スケバン刑事という制度は秘密のものであって、警視正以上のランクのものしか知らない。
 つまり、ケータイ刑事はスケバン刑事のことを知っているわけだ。なんの話だっけ。

 しょうがないので、「夢」そのものの俚諺形はどうか。
 ほとんどない。
いめ」「えめ」という変化形のみ。
 最近、ときどきぶちあたるのだが、俚諺形の生まれない単語ってのはあるようだ。いつぞやは「窓」なんてのも取り上げた。
 でも、生活に密着してなくて改まった場面でしか使われないようなものならともかく、「夢」とか「窓」なんて普通に使う単語だよなぁ。
 この 2 語に関して言えば、短い、ということは言えるのかもしれない。たとえば窓なんかはどこかからモノと一緒に伝わってきたんだとして、わざわざ別の言い方にする理由はなさそうだ。
「夢」の語源は「いめ」で「寝目」と書く。呼んで字の如し、寝て見るものだ。
 だが、起きた状態で見る「希望」「理想」という意味はいつごろ追加されたのだろう。角川の古語辞典では「『ゆめ』の形は平安時代から」とあるだけで、語釈は「ゆめ」で片付けている。
 外国語に目を移してみてびっくり。英語の“dream”は、寝て見る方も起きてて見る方もサポートしていて日本語の「夢」とそっくりだが、もともとは、「喜び」「音楽」なんだそうである。ふーん、確かに接点はありそうだけど。
「夢」って字そのものは、「暗い」って意味らしい。急に夢がなくなるねぇ。

 日本語の場合、同じ字・語が何度も出てくるのはあんまり美しくない、とされている。「あとでこうかいする」なんてのはよく耳にするが、字にしてみると「後で後悔」。「馬から落馬」と同じでなかなか痒いものだが、英語の場合、そういう表現方法はごく普通にある。
「同族目的語」というのだが、「楽しい夢を見る」は“dream a happy dream”てな具合で、同じ単語が二度出てくる。「惨めな死に方をする」なら“die a miserable death”で、これは形こそ違うか、“death”は“die”の名詞形で、仲間の単語といっていい。これは下手でも何でもない。
 この程度のことだって普遍性は持ってないのである。言語なんて緩いものなのだ。

 それにしても、なんだったんだろうね。
 ネタに困っている、という苦労が見せた夢だったのであろうか。であればそれは功を奏したことになる。こうやって見事に一回分の文章がでっちあげられたのだから。




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