受験シーズンである。もう中盤なのかな。合格発表もちらほら目にするが。
俺の受験は前世紀であり昭和でありで、もうはるか昔のことだが、共通一次組なので、この時期は二次試験用の勉強しかしてなかった。二次志望を含めても 3 教科だけだったから、一ヶ月以上も 3 教科だけやっていた。まぁ、24 時間ずっと勉強してたわけではなく、ギター弾いたり、歩いて 10 分のところにある本屋に行ったりで割と余裕ぶっこいていた。いや、一次の結果は割と悪かったので余裕はなかったのだが、それくらい遊んでる時間をさっぴいても勉強する時間は十分にあった、ってことで、今にして思えばある種、幸福な時期であったと言えよう。
別に今年始まったことではないと思うのだが、受験関連商品、主に食品が話題になっている。
聞くところによると火付け役は福岡で、
ネスレの「
キットカット」が福岡の言葉の「
きっと勝つと」に似ているということで、福岡の受験生たちが買うようになった。それを特別に受験向けに発売したのが 2003 年だというからもう 4 年になるわけだ。
まぁ、「勝つ」と「カツ」をひっかけるダジャレは以前からあって、受験もそうだが、スポーツの大会なんかでも朝っぱらからトンカツなんて話はよく聞いたような気がする。冷静に考えれば、消化と吸収にエネルギーを使う、最悪の選択だが。
不思議なのは、「
うカール」「
ハイレるモン」「
ポッキーでキッポー」「
かなえるコーン」「(落ちない)
コアラのマーチ」「
きっちり通る」と、どれもこれも駄洒落ベースなこと。まぁ、験かつぎなんてそんなもんだが、目が三角になりがちな受験生をリラックスさせようという大人たちの気遣いもいくらか入っているのであろうか。
ご当地ものがどうやらがんばっているようだ。最初にあげたキットカットは全国で売られている商品だが、火をつけたのは福岡である。秋田弁だと「
勝づど」になってしまうので、残念ながら連想は働きにくい。
方言とは無関係だが、北海道で売られている「カツゲン」という飲み物は「勝源」と書くので、当然のように受験グッズとなる。
こないだスーパーで「十勝で勝つ」って POP を見かけた。おそらく乳製品であろう。
秋田でないのかなー、と思って見たんだが、どうも見当たらない。
どうせ駄洒落なんだからこの際こじつけてしまえ、と思って探してみた。
「もろこし」なんつーのはどうだ。「諸越」と書いて、なかなかいさましくはないか。諸々の難関を越えていく、という読み方でなんとか。
落雁みたいなもんで、お茶がないと食いにくいことはなはだしく、若い人が喜ぶ食い物でないこと請け合い。請け合っちゃいかんのか。
時期的に節分直後。豆はどうか。納豆でミソをつけられてしまった嫌いはあるが、もともと体にいいものだし、タンパク質は脳に欠かせない物質。
これは時々話題になるが、北日本では節分の際、大豆を炒ったものではなく、殻つきの豆を投げる。なんて言ったっけな、あ、そうそう
落花生…いやなんでもありません。
あ、これはどうだ。「智水」。いかにも勉強にぴったりというネーミング。原料は米だから栄養たっぷり。製造元は、
秋田誉酒造株式会社…せめて受かってからにしとくか。
飲食から離れよう。
受験といえばサクラサク。秋田には桜皮細工があるが、これはちょっと受験とつながらんな。ペン皿くらいはあると思うが、高校生が使うものではないような気がする。あ、ブックカバーはあったぞ、確か。昔、土産で買った記憶がある。まぁ受験生が本を読む暇があるかどうかって話はあるが、テスト期間になると本を読みたくなる、という人もいることだし、気晴らしにどうか。和食派の人には箸もある。
秋田弁で駄洒落だと。
秋田では「入る」ことを「
はる」と言う。そこで、湿布とか、
カゼピタンのようなハップ式風邪薬とか。病気がらみなのがあれだから、
セロテープとか。意味ねぇか。
ガムランに、「ウガル」って楽器があるらしい。これが「
受がる」であることは説明の必要もないだろうが、プレゼントのしようがないな、これは。
大潟村で何か考えてはどうか。「
お、受がった」とかって。
忍者キャラってのはどうだ。「心配ない」「大丈夫」という意味の「
さすけね」あたりから拾ってさ。いや、受験に限らずお守りとして。これはいけるかもしれんな。秋田に限らない、ってのが難だが。
敵方が「
やづがね」。なんでお守りに敵がいるんだかわからんが。
神頼みの人もいると思うが、一般には天神様。菅原道真つまり菅公にちなんでつけられたのが「
カンコー学生服」だって話は前にしたっけか。
秋田の学問向け神社ってどこかと思って調べたら、秋田市の千秋公園にある弥高神社がなんと平田篤胤と佐藤信淵を祭ってるんだそうな。ははは、知らなかったよ。初詣スポットでもあるから受験生はもう行っているんだろうな。
そういう人は結構いると思うんだが、今でも受験とか試験の夢を見ることがある。たいがい、全然、勉強してなくて「うわどうしよう。いや、ここまで徹底してやってないとどうしようもないけど」というものである。目が覚めて、あぁよかった、もう終わってるんだった、もうやらなくていいんだった、と思うのだが、もう一度、ああいう気分を味わってみてもいいな、とほんのちょっとだけ思わないこともなかったりする。いや、単に、昔に戻りたい、ってことじゃなく、あれはあれで充実してたな、と。