Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第532夜

あきたをいれる



 健康つか病気の話ばっかりでうんざりしてる人もいるかもしれないが、とろろ昆布に中性脂肪を減らす働きがある、って話がある。去年の秋くらいかなぁ、と思ったが、調べてみたら 8 月。秋どころかクソ暑い時期やんけ。ほんとに時間の感覚ってのはあてにならん。
 お、と思って店に行ったはいいが、よーく考えてみると、俺の食生活にとろろ昆布がはまらん。飯に乗せるか味噌汁にはなすくらいしか思いつかない。しかも、その中性脂肪・コレステロール・体重の増加に業を煮やして、夜は飯を食わない (絶食という意味ではなく、米を炊いたものを食わない) という方針に切り替えたので、ますます食う機会がなくなり、買わずに帰った。
 まぁ、その結果なのかどうか、正月明けに血液を検査したところ、これまで、境界値をちょっとオーバー、くらいのところだったのが、どう見てもアウト、という数字になっていた。そうなるのもしょうがない、って時期ではあったが、ちょっと冷や汗をかいている。

 昆布に話を戻す。
「おぼろ昆布」というのがある。昆布の板を刃物で薄ーく削いだものである。
 その道具をなんというか。
あきた」である。
 いや、マジで。
 薄く綺麗に削ぐには、その刃物はわずかに曲がってなければならないらしいのだが、そういう風に整えることを「あきたをいれる」「あきたをひく」と言う。
 いや、ほんとですって。
 秋田魁新報に載ってた記事によれば、横手にはこのおぼろ昆布を扱っている店が多いのだが、大正時代に大阪の昆布職人が浪花節の一座と一緒にやってきたとき、その削ぎ方と道具に感動して持ち帰ったことから全国に広まった、という説がある。
 横手市は、地図を見てもらえばわかるが、秋田県の内陸南部にあり、市町村合併した今では岩手県に接しているのだが、そこに昆布の加工技術があった、というのがそもそも不思議。ただ、前に書いたような気がするが、今は湯沢市になっている稲川町ではホヤを食う習慣がある。これは、宮城方面から山を越えてやってきた行商人が生ものからせっせと売りさばいたことが理由らしいのだが、食生活ってのはそんな感じで、面白い形で地形と食い違ったりする。

 沖縄の昆布もしかり。昆布は北のもので、頑張って東北、大体は北海道で取れるものだというのに、消費量は沖縄が日本一。
くーぶ」という言い方がある模様。
 昆布そのものはおそらく日本全国で流通してると思うが、沖縄の長寿に貢献しているのは、「だし」をとるだけでなく、食うからだという説があるらしい。

 昆布の俚諺も面白い。俚諺つか意識。「俺が知らないから方言」という例のパターンを多く観察できる。
「こんぶ」なのか「こぶ」なのか。「こぶ」を見出しにして「昆布のこと」と解説している人もいれば、逆の人もいる。
 字から言ったら「こんぶ」だろうという気がするんだけどな。
 大辞林は「こんぶ」で立てていて、「食品の場合は『こぶ』ということが多い」とのことだが、どうなんでしょうね。俺にとっては、「こぶ」というのは日常語ではない。そういう人もいるんだろうね、という感じ。ちょっと、上品なイメージがあるかな。

『秋田のことば (秋田県教育委員会編、無明舎出版)』には昆布は見当たらないが、若布 (わかめ) ならある。「めっぱ」というらしいが、「布の葉」だそうな。どうも、全国的に「めのは」系が優勢のようだ。
「め」というのは、その「若布」の「布」で、大辞林に戻れば「ワカメ・アラメなど食用にする海藻の総称」という解説が得られる。すまん、「あらめ」って聞いたことがない。
 そもそも、「昆布」と「若布」の違いは。いや、見ればわかりそうな気はするけど、例によって植物も食物も興味の対象外なので自信ない。
 大辞林には、若布が「褐藻類コンブ目の海藻」、昆布が「褐藻類コンブ目コンブ属を含めた近縁の海藻の総称」。これ、説明になってるのかな。

 そういえば、この時期に食卓に上るのが「ギバサ」。
 詳しくは知らないがいずれ海藻であり、これを包丁でたたいて粘り気を出し、醤油で食う。そのまま食うよりは飯に乗っけるのがよい。
 標準和名は「アカモク」というのだそうで、山陰では「ジンバソウ」とも言うらしいが、北陸だと「ギンバソウ」とも言い、どうやらどれもこれも同系らしい。
 ホンダワラのことを「ギバサ」と呼ぶ地域もある由、当然、ホンダワラってのがどういうものだかは知らないで書いているが、ギバサをいためたり酢の物にしたり、と書いている人は、そういう地域なのだと想像する。我々の知っているギバサは、ちょっとそういう食い方には合わない。

 健康と食い物と言えば、納豆の周辺で騒ぎがあった。まさに「周辺」で、メーカーや小売店は大分、迷惑したものと思われる。
 テレビが右って言えば一斉に右を向く国民性がまたしても実証されたわけだが、勿論、嘘をつく方にも責任はある。国がまたしても放送に口を出す機会を作った、ということで、人道に対する罪と言えよう。




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