Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第527夜

2007 Starts



 この正月は全く穏やかで、ちょっと積もったり、車のガラスが凍ったりもしたけれども、昼になれば解けるし、滑って転んだりもしなかった。3 泊 4 日で実家に帰って、普段は誰も使わない部屋でピアノの練習をしたが、ちょっと厚着をすれば、ストーブをつける必要がない。昨日あたりからまた寒くなってきて、荒天の予報も出てるようだが、さてこの冬はどうなるのだろう。
 紅白が――正しい日本語な方のために解説すると、これは饅頭のことでも幔幕のことでもなく、大晦日に NHK で放送される歌番組のことである――白組の勝ちで終わったのは予想通りというか、いつのまにタイになってたんだ、と思った。
 タレントに対するロイヤルティという点では女性の方がはるかに強く、それは SMAP だろうがヨンさまだろうが同じことで、一方で女性タレントを応援する男、というのは、人によりけりで程度の差もあるだろうが、どちらかと言えば軽蔑されがち。
 今時、男女別に分けてるのは NHK だけだ、と言ったのは斎藤美奈子だったっけか。
 開けて元旦は、「笑点」が看板に偽りありのスポーツ イベント番組となってて大いにがっかり。NHK の寄席四元中継もなんか今ひとつピリっとせず。衛星では、6 時間ぶっ続けで昔の芸人の映像を流しまくっていた。これは見たかったが、もう肝臓が疲れ始めていたので断念、と。

 なんかこのままだと、お前はずっとテレビ見ながら酒飲んでたのか、と言われそうだ。
 それに近い感じではあるのだが、一応、あれこれ本は読んだので、その辺を。
日本語学』は「花を愛でる」という、珍しい切り口の特集をやっていた。
 たとえば椿については、春の花といえば桜で、イメージとしてはむしろ冬に力強く咲く花なのになぜ「木」に「春」なのか、とか、首が落ちることから武士が嫌ったというが*1、平安以降の古典文学にめったに登場しないことや、家紋がほとんどないこと、西日本に「かたし」「かたち」など、花ではなく木の材質に着目した呼び方があることなど、江戸以前から好かれていなかった、いう話が取り上げられている。
 ヒガンバナについては、「ヒガンバナの謎と方言」という論文がある。
「曼珠沙華」も「彼岸花」も仏教関係の命名、つまり、仏教伝来以後につけられた名前だが、ヒガンバナそのものはそれ以前からあった。だが、なんと呼ばれていたかは不明なのだそうだ。この辺は、上に書いた椿はじめ、菊、梅などの由来も興味深い。
 ヒガンバナの俚諺形は、毒に関連する呼び名 (根に毒がある)、死にまつわるもの、色や形、花ではなく植物としての呼び名など、千を越えるらしい。
 筆者の篠木れい子氏が、毒に関する呼び名に着目している。単に「毒花」とかいうのではなく、「舌まがり」「頭はしり」など妙に細かく具体的なのである。つまり、食ったことがある人が相当いる、ということだ。

「日本の諺・中国の諺」で挿絵が入れ違っていて、妙なことになっている。ほかの場所で誤変換だかタイポを見たような気もするんだが、ちょっと注意していただきたいところである。
 この連載は、「我田引水」や「傍目八目」が和製熟語である、などなかなか勉強になる。

 もう一冊は (別に二冊しか読まなかったわけじゃないが、ここで紹介できるのがそれだけ、ということ) 米川明彦氏の『これも日本語! あれもニホン語?』。
 この本は、Q&A 形式で日本語の色んな話題を取り上げた、新聞連載をまとめたもの。「ナノテク」みたいな新語は当然としても、「認識不足」が昭和初期に流行語だったことがある、「美肌」は戦前に登場している、など妙に詳しい。
 この人って、NHK 教育で加藤夏希と一緒に手話の番組をやってる人だよなー、と思ってプロフィールを確認したら、福祉方面とかではなく、日本語学が専門の人だった。失礼。
「まえがき」には、言葉は変わるものだという前提で、というようなことを書いているが、やはりそこここに、今の若いもんは的姿勢が見え隠れする。
 方言方面にはあんまりタッチしてないのであれなんだが、正月だから「一富士ニ鷹三茄子」について触れると、これは由来がわかっていない。米川氏も「駿河の国の名物を取り上げたものとも言う」としている。同時期に読んだ『サライ』に、青果物研究家の江澤正平氏のインタビューが載っていたのだが、徳川家康の好きなもの、というよく聞く説のほかに、やっちゃ場 (江戸の市場のこと) では、高いものの喩えだといわれている、と発言している。
 これは投書があったのかもしれないが、「着物の『身八口』を、若者がとんでもない読み方をしていました」という問。
 読めないし、なんだか見当もつかない。俺も若者らしい。
 これは「みやつぐち」で、女性の着物の脇にあるスリット状の部分だそうだ。ググったら、600 件ちょっとしかなかった。それが読めないからといって「とんでもない」という言い方はどうか。自転車に頓着しない人に「『ディレイラー』も知らないのか」というようなもんである。*2
 実際にネット検索してもらうと文章が見つかると思うのだが、これについて、着物が裂けているというクレームをつけた人がいるらしい。「身八口」が置かれている状況は、そうなのである。人の言葉にケチをつけるときは、それを弁えないと、言った本人が「鼻持ちならない奴」に見られてしまうので要注意だ。
 俺がその境界上にいる実例がこないだあった。時々読む音楽関係の雑誌の、読者からのイラストを紹介するコーナーで、女子高校生が大きな字で「ポルノ大好き!」と書いていた。これがポルノグラフィティというバンドの略称であることはすぐにわかったが、そうは言ってもかなりギョっとする。これを「とんでもない」と思う気持ちも大いにわかるんだが、彼女たちにとっては“pornography”はひょっとしたら未知の単語、「ポルノ」と言えば「ポルノグラフィティ」である世界の住人だということを踏まえて、そうじゃない人もいる (おそらく現時点ではそっちの人が圧倒的多数) よ、と教えてあげるのが大人の姿勢であろう。

 そういや紅白にも出てたな。
 前に紅白で聞いたときには、中途半端にフォークロアなアレンジで、なんだかなぁ、という感じだったが、こないだのはなかなかよかった。





*1
 
Wikipedia には、これは明治時代の流言だとある。()

*2
 もちろん、ネット ユーザーと、着物のヘビー ユーザーはそんなに重ならないだろう、ということは承知している。
 なお、「身八口」を検索すると、部位が部位だけにエロいページがヒットするので注意されたい。
 ちなみに、「ディレイラー」というのは、下の写真の、赤い円の中の部品。
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