Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第517夜

ケータイとセーラーとヨーヨー



ケータイ刑事 銭形雷」終了。
 3 クールだったが、 39 話ではなく 40 話。
 開始が 1/1、終了が 9/30 と、9 ヶ月をフルに使い切った。ずっと日曜日なら 39 回だったわけだが、途中で一日前の土曜日に移ったため、こうなっている。
 最終話の謎解きは、犯人が男か女か、であった。男女組の爆弾魔の女のほうが生き残っていて脅迫状を送ってよこしたが、語尾が違っていたため、実は男であることがわかった、という話。
 これを標準語でやったら視聴者にもすぐわかっただろうが、犯人は二人とも沖縄出身者だった。主人公の銭形雷は IQ180 の天才少女、どうやら方言学にも詳しいらしく、首尾よくその謎を解き、犯人を特定した。
 最終回ゆえ、さらにその後にもサスペンスがあったのだが、それはここの守備範囲を超えるので割愛する。2 月末に DVD が出るので、方言や小出早織や草刈正雄に興味のある方は是非。

 具体的には「またやーさい」と「またやーたい」の二つの形が出てきている。
 これは「また会いましょう」という意味で、昔の事件の脅迫状で使われた「またやーさい」が女性が使う形、今回の脅迫状は「またやーたい」で男性が使う形。そこで、今回の事件の犯人は男ではないか、という推理ができるわけだが、そうだとすれば (そうだったのだが) 妙な話である。犯人は、女に成りすまそうとしているのに、男が使う語尾を使ったわけだ。言語的には、非ネイティブにしか許されないミスだし、名の通った犯罪者にしては迂闊過ぎる。
 耳から聞いたのではなんと言っているのか聞き取れない、という問題もあった。謎解きの解説を耳にしてやっとわかった、というくらい。沖縄関係者だ、という事前情報が無いから、こちらも心の準備ができてないし、できてたとしても聞き取れたかどうかは疑問。
 まぁ、「ケータイ刑事」はそういうことをとやかく言う種類のシリーズではないのだが。

 秋田弁ではこういう男女差はさほど明確でない。
 一人称の代名詞にしてからが、男も女も「おれ」「おら」である。
 細かい違いはあると思うんだが、ここでポンと例示できない。

 これが特異例なのかいくらか一般性があるのかをちょっと調べてみたのだが、男女差と敬語体系の発達とは、傾向としてある程度、リンクするらしい。敬語のシステムがきちんと成立している地域では、男女差もはっきりとしたものになるそうだ。言われてみれば、秋田は敬語体系なんぞ無いにひとしい地域であった。*1
 敬語のほうは、大まかに西高東低らしい。九州でカチっと決まっていて、東に行くにつれてゆるくなる。おそらく、「みちのく」に来て消え果てるのに違いない。
 ちょっと待て、という意見もあろう。標準語のベースたる東京方言はどうなのだ、と。「〜わ」みたいに、一目でわかる語尾があるではないか。
 これには、そっちが特異例なのだ、という説明がなされる。調べていて、「孤島」という表現も目にした。
 まず、江戸の時点で、人口比率がいびつである。たしか 1:2 くらいだったと思う。武士の町、江戸は男の町だった。封建的な社会であるにもかかわらず、雛祭りという女の子向けのイベントが発達したのは、その比率ゆえ、女性が大事にされていた、という事情がある。
 で、明治になるが、現在の「標準語」の成立が富国強兵と無関係でないことは何度か紹介してきた。そういう目的があるから、なおのこと男と女のあり方を画然と分ける必要がある。それは言葉遣いにまで及んだ、というわけである。
『日本語百科大事典 (第 4 版、1990、大修館書店)』には、女性の言葉の発達には、女房言葉が公家から武家、金持ちの一般人へ、と広がっていったという流れがある、という説明があるのだが、女房の世界というのは女の世界である。「分けた」のか「分かれた」のかは知らないが、切り離された世界で発達したものがベースになっているのだから、違っていて当然であろう。
 本質的な違い、つまり、オスとメスという生物学的な違いが、言葉の運用に影響を与えることがあるものなのかどうか、俺にはなんとも言えない。

 方言から離れるが、中国の一部の地域に、女性しか使わない文字、というのがある。今年か去年、『月刊言語』で読んだ記憶があるのだが見つけられなかった。代わりに、“World of Nushu”をリンクしておく。漢字をベースにしているが表音文字であること、バリエーションがものすごいこと、などが特徴なのだそうだ。

「〜わ」のような特徴的な語尾は消えつつある。いや、消えた、と言ってもいいかもしれない。
 最近の若い者は、ということを抜きにしても、こういうのはそもそも「役割語」だった、という指摘もある。すでに相当に前から使われていない、フィクションの中で使われているだけだったのに、耳にする側が気づくのが遅かったのだ、ということである。
 職場で俺の隣に座っている、二十代中盤の女性は、「ヤバい」「マズい」は勿論、「めし食う」「(フ) ザケンな」というような表現をごく普通に使っている。別に柄の悪い人ではない。
 そういうのを嘆く保守高年齢男性は多いようだが、彼らは自分たちが、これまで一生懸命に女性を否定してきた、ということには口をつぐんでいる。
 俺も、「女にプログラマーなんかできるのか」と聞かれたことは一度ならずあるし、仕事の打ち合わせで、簡単な作業について「女の子にでもやらせます」というのは今でも耳にする。
 そういう社会である限り、女性性を捨てようとする動きが生じるのは当然のことだろうと思う。
 とりあえず、男女同権を口にする各メディアが、夏の衣替えのときに女子生徒や OL を大写しにするスケベ根性を捨てられずにいるのだから、期待するだけ無駄か。

「ケータイ刑事」は、衛星放送でしかやってない (都会では、地上波での放送もやってるようなのだが) から知らない人も多い。かと思えば、来年の 3 月には映画第 2 弾が公開される。人気なんだかそうでないんだかよくわからんシリーズだ。
 この秋には、「スケバン刑事」が映画化された。この作品では、セーラー服を時代錯誤の衣装として揶揄しているが、そうかと思えば、そのものスバリ「セーラー服と機関銃」のテレビシリーズも始まっている。
「スケバン」は興行成績が今イチらしいが、もし、「セーラー服と〜」が成功すれば、セーラー服を否定した「スケバン」スタッフの敗北、ということになるな、と思って見守っているところである。*2





*1
 関係ないのかもしれないが、女性が「わたし」と言うのはニュートラルでありうるが、男が「わたし」というと丁寧な印象を持たれる。敬語と性差ってリンクしてないのかな。(
)

*2
 俳優の勢いの差、という指摘もあるが、ハロプロにしろ長澤まさみにしろ、どんな勢いを持っているのか、この年になると実感できない。
 はっきり言えるのは、「スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ」はまるっきり面白くなかった、ということである。(
)





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