Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第501夜

一所懸命



 当“Sigma-Section”の「方言千夜一夜」は、今回が 501 夜目となる。
 1996 年の暮れにスタートして 10 年目。最初は方言礼賛、秋田弁萌え――もとい、擁護がほとんどだったが、途中からケチをつける様になった。
 ネットワークの普及で、方言礼賛の人の文章を目にすることが多くなり、その冷静さを欠いた文章に鼻白んでしまうことが増え、考え直した結果である。「正しい日本語」教が跋扈するようになったのも大きい。
 まぁ、男子三日会わざれば刮目してみるべし*1。まして 10 年。言うことも変わるわな。

 一応、裏は取るようにしているが、裏を取る必要があるな、と気づくかどうかという点も問題だし、裏を取るったって、書いてある本を思い出せればそっちを調べるが、ググるのが関の山。こんな薄味の文章だからなんとか続いているのかもしれない。読者が減るのも当然。

 そんな状態なんで、決してがんばっているつもりはないのだが (がんばるのは、公開する日になっても文章が書けてないときだけである)、今回は「がんばる」あたりをちょっと並べてみようと思う。
「がんばる」は、大辞泉大辞林も、「我に張る」とか「眼張る」とか説明している。前者は「我を張る」の間違いではなく、「我慢してやりぬく」つまり「自分に対して強制する」というようなことだろう。

「きばる」はどことなく西日本の感じがするが、大辞林その他では、特に注釈なし。「気張る」と書いて「息を詰めて頑張る。いきむ」とある。「いきむ」の方は「息む」と書くらしい。今となっては、出産時にしか使われないような単語のような気がする。
けっぱる」は津軽弁だが、北海道でも使われるらしい。ただ、宮城の例も散見されるし、秋田でもないことはないらしい。
 と思ってたら、奈良の例が見つかった。でも、一例しかないので、リンクはしないでおく。
「きばる」との関係を言う説明もあるが、「蹴張る」が元という説も。確かに、頑張るときには足場を固めるが。

はっちゃき」というのもある。「頑張る」というよりは「張り切る」という感じらしい。
 これも北海道だが、うわなつかしい、と思ったのは「ハッチャキマチャアキ」って昔の番組を覚えているから。
 覚えている、と言ったって、詳細はもう霞の向こうだが、堺正章が「ハッチャキ仮面」ってヒーローに扮して怪獣と戦っていた、というのは確か。あと、「ヨイヤサのヨイヤサ」とか言って踊りまくってなかったか? 「待ーたーせーたーなー」って小生意気なガキの殿様が登場するのは何だっけ?
 ネットにはなんでも載ってる、と思ったんだが、記憶を頼りの雑談がほとんどで、記録っぽいのがあんまりない。やっぱりこの辺は、従来どおり、新聞の縮刷版をあたることになるのかなぁ。やらないけど。

 そういや、ドリフやコント 55 号の DVD が出ている。それはいいんだが、「昔の笑いはよかったねぇ。それに引き換え、今の芸人は」なんて言う人がいる。ドリフも 55 号も、当時は俗悪番組に分類されて、「今の芸人は」と叩かれてたことをすっかりお忘れである。これまた、「正しい日本語」と同じく、自分を絶対の基準にしたお言葉、永遠に繰り返される世代間闘争。
 今のお笑いが、小ネタの羅列で、最初はよくても、二度目はもう見る気がしない、ってのは確かだが。

「がんばる」に戻す。
がまだす」という表現がある。釣り道具屋ではない。
 九州方面らしいが、施設やらグループやらの名前にあちこち使われている。というか、方言そのもののページよりも、そういう奴の紹介のほうが多くて、確認に難渋。こういうときは本の方がいいな。
「我慢出す」という解釈もあるようだが、ちと意味不明。

「精出す」はおそらく全国的に通用する表現だと思うが、なぜか方言語彙と分類している人多し。
 神奈川に「べんきょうする」という言い回しがあるらしいが、語が語のためノイズが多すぎて裏取れず。

『秋田のことば (秋田県教育委員会編、無明舎出版)』には、「一生懸命」てな意味の単語がいろいろと並んでいるが、どれ一つとして聞いたことがない。それどころか、俺は別の意味で理解、使用してたりする。
 この辺、方言の世界からは離れているんだろうか、とちょっと思う。
 というのは、「努力する」で俚言形を探したところあんまり見つからなかったからである。「がんばる」でなんとか。それも、上に書いたような程度で、あんまりバリエーションがない。「一生懸命」でなんとか数が出てくる。
 あるいは、日本人にとっては、「がんばる」は「動作」ではなく「状態」なのかもしれない。「精出す」もあるが「精が出る」という言い方も同じくらい使われるし。と、ここは裏も取らずに書く。

「癒し」が流行語から定着してすでに 7〜8 年経ってるが、うさんくさい感じはいまだに消えない。
 積極的に癒す必要があるほど世の人々が頑張ってるとは思えないからだ。みんなが本当に頑張ってたら、世の中もうちょっとマシになってると思うんだが。
 あるいは、頑張ることが意味をなさない、空回りに終わるような社会構造にしてあるのかもしれない。であれば、疲弊するのも当然だが。
 そういや、『人間を幸福にしない日本というシステム』という本が出たのは、俺が NIFTY-SERVE(現 @nifty)に加入した年である。






*1
 これは今や差別発言か? (
)






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第502夜「口は災いの元」へ

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