Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第500夜

リセット



方言が明かす日本語の歴史 (小林隆)』を紹介。
 これは、方言学の本ではない。過去の日本語の姿や現在に至る過程を、方言を手がかりにしてさぐっていく、という手法の本である。
 すっげぇ面白かった。

 例えば、「駒 (こま)」という語がある。馬のことだというのは字を見ればわかるが、日常生活の言葉ではない。なんとなく、平安貴族っぽい感じがある。
 一方で、オスの馬のことを「こま」という地域がある。この本の図では、近畿を挟み、関東を除く広い地域に分布している。
 だがここには意味のずれがある。文献では、牡馬という意味で「こま」を使った例はほとんど見当たらない。だが、その使用範囲が広い以上、かつてそういう意味で使われていたのだ、ということには間違いがない。
 一気に結論に飛ぶと、文献というのは、上流階級の言葉を映しているに過ぎない、ということである。全国に広がる方言形は、都付近で使われていた庶民の言葉の残滓である。
 これを解明していくシーケンスは、まるで推理小説を読んでいるようでワクワクする。

 ほかには、「一昨日」の「おとつい」と「おととい」の東西対立が、「おとつい」の次に「おととい」が現れたのに、「おととい」は「兄弟」という意味の語と衝突するため、再び「おとつい」が使われるようになったことの結果である、としている。
「くすりゆび」が、それより古い言い方である「くすしゆび」の誤記がもとになった可能性など、これでドキドキしなかったら方言に興味を持つのなんかやめてしまえ、って感じすらする。
 あとがきによれば、こういうやり方は異端なんだそうで、つまり、上記の内容は間違いである、という人もいる、ということなのだが、それはそれでいいわけである。「批判的に読む (critical reading)」というのはそういうことで、検討した結果、それは間違いだと思うよ、ということもあろう。
 が、この本のように、古い文献に当たって推測をめぐらし検証して、というプロセスに面白みを感じないとすれば、知的好奇心ないのか、と俺は言うであろう。

 例えば、人を指す丁寧表現としての「方 (かた)」が、人を直接指すのではなく「方向」にぼやけさせることで敬意を表している、というのは常識として、「様」もそうだった、というのを聞いて、「え」と思うかどうか。いや、知ってたらごめん。
「薬指」は、「べにさしゆび」という呼び方がされていたことがあるが、化粧をする頻度の低い山村への伝播は遅かった、とか。これと言って特徴がないので、「ななしゆび」と呼ばれていたことがある、とか。*1
「こま」に対応する、雌馬という単語は「だま」で、「駄馬」と書く、とか。

 方言地図とかも出てくるが、決して小難しい書き方はしていない。是非、読んでいただきたい。
 実は、これを含む、岩波の「もっと知りたい! 日本語」のシリーズを 5 冊ほどドカっと買ったのだが、『ささやく恋人、りきむレポーター (定延利之)』も面白い。フィラー (「あのー」とか「えー」の類) が許されない状況とか、つっかえ方のパターンとか、「普通」の言語学が無視する分野を生き生きと取り上げている。俺がかねてから目の敵にしている「正しい日本語」についても、「このような世代間無理解の根は深い」と、ちょっと触れられていて、わが意を得たり、と言いたいところだが、俺は年寄りを非難しているので、実は人のこたぁ言えないのだった。

 方言とか、正しい日本語とかを論じる人の中で、古語・古典のことをわきまえてない人がいるのには驚く。
 いや別に、万葉仮名を読め、とか、くずし字を解読しろ、とかいうことではなく、係り結びとか、ありおりはべりとか、授業でやる程度のことは知ってなきゃだめでしょ、と (この本によれば、九州で使われる「〜くさ」という語尾は「こそ」の変化したものなんだそうだ)。
 で、さらにもう一歩進めて、古典文法は「ある時期の都で上流階級が使っていた言葉」の文法に過ぎない、ということを頭に入れておかなければならない。そんなに普遍性があるものじゃない。方言を調べるについて古語辞典に当たった場合、それがいつの時代に関する説明なのか、まで読まないとダメ。江戸と奈良とでは千年も離れてるわけだから。

 よく、「昔、都で使われていた由緒ある言葉」とかいって方言を褒め称える人がいるが、それは「虎の威」とまでは言わなくとも「他人の褌」だってことに、そろそろ気づいて欲しい。
 今ある言葉を、今ある形そのままで愛好すればいいのに、そうやって権威づけをせずにいられない、っていうのは逆にさびしくないかい。
 俺も昔やってたけどね。反省の意味も込めて、文章を削除したり、直したりはしないことにする。

 500 回目にふさわしく過去を振り返るエンディングとなったところでまた来週。






*1
 ほかは、「一番でかい指」「人を指すときに使うメインの指」「一番長い指」、一つおいて「一番小さい指」。
 動かねぇしさ。ピアノ弾いてるとこいつが言うことを聞かなくて困る。 (
)






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