Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第495夜

今はこんなに正しくて



「正調○○弁」とは何か、ということを考えてみた。
 とは言いながら、これまでの俺の文章を読んでいる人なら見当がついているとは思うが、「そんなものは、ねぇ」というのが結論。

 地域のことだから、まずそこから攻めると、たとえば「秋田ってなぁ、どこのことだ」というのが定まらない。
 よく、昔からの由緒ある表現が残っている、などと言われるのでさかのぼってみると、たとえば江戸時代なら、由利本荘地区や鹿角地区は、秋田藩から外れてしまう。この時代に秋田弁の定義を求めることはできないような気がする。
 藩には支藩というのもあって、秋田の場合、湯沢に秋田新田という藩があったのだが、これはどうなんだよ、という疑問も立てられる (まぁ、支藩は別、ということにできるだろうけど)。
 ずいーっと奈良までさかのぼると、北の方は大和朝廷の版図ではなかったわけで、そもそも日本語じゃねぇのか? とも考えることができる。
 これはまぁ極端な話なので置くことにしても、隣同士の象潟と酒田の言葉は似ている、というのは理解してもらえるはずである。で、秋田市の言葉と象潟の言葉の違い、象潟の言葉と酒田の言葉の違い、どっちが大きいか。それによっちゃ、象潟の言葉が山形弁だったり、酒田の言葉が秋田弁だったりするのかもしれない。
 そもそも、言葉の違いに大小はつけらるんかいな。青森の言葉と鹿児島の言葉が違う、というのは異論がないとしても、じゃぁ、福島の言葉と岡山の言葉の違いは、青森と鹿児島の違いより小さい、と言えるだろうか。

 その一方で、川を挟んで明らかに言葉が違う、というようなこともよく聞く。
 だがそれだって、一致点が皆無、という違いではない。
 東西の境界はフォッサマグナ近辺にあるが、対象の言語現象によって、相当の範囲でぶれる。大井川や糸魚川を境に、何もかもが違う、というわけではないのだ。したがって、着目点によっては、静岡が西日本だったり、和歌山が東日本だったりする。
 というわけで、境界が定まらない以上、「正調」を地理的条件から決定するのは無理だ。

 県庁所在地じゃねぇの? という発想も可能だろう。
 だが、現在の県庁所在地が、昔からの中心地だったとは限らない。典型例が青森市と弘前市だが、江戸を持ってくることだってできる。庄内・最上・村山・置賜という区分が、さまざまな面におけるはっきりとした違いを示している山形県もそうかもしれない。時代として近いところとしては、巨大な政令指定都市の仙台。太平洋と山形県の両方に接しているが、一つの市だからって、その両側の言葉が同じだとは到底思えない。
 この、政治的、あるいは経済的な中心地をもって代表させる、というのは、もちろん「威光」の問題もあるだろうが、外部からの視点ではないか、という気がする。秋田県外の人が、秋田との接点を持つとき、それはやっぱり秋田市なんじゃあるまいか。
 大館の人が県外で、「そうですか。秋田の方ですか。ちょっと秋田弁を聞かせてくれませんか」という依頼に対して、津軽弁と似た感じの大館弁を使ってみせたら、「え?」とか「はぁ…」というような薄めの反応になりそうな気がするのだが。

「正調」には、「正統性」以外の要素もあるような気がする。
 というか、そっちの方が本質になってたりしないか。
 いや、つまり、「南港の水は冷たいやろなぁ」を「正調の大阪弁」だという人はいないだろう、と。
「美しい」とか「優しい」とか「癒される」とか「ほっとする」とか、そういう要素がないと、普段から多くの人が使っていても、「正調」とは呼んでもらえないんじゃないかな。

 あぁ、やっぱりここに来てしまった。
「正しい」には価値判断が伴うのだ。どれだけ現実と伝統に即していようと、プラスの価値を認められなかったら、「正しい」とは表現してもらえないのである。
 逆に、間違ったものであっても、それを凌駕するプラスの価値があれば、「正しい」ものとランク付けされる。「だらしない」が「しだらない」の変化した「間違った」形なのに、これが「正しい」表現とされるのは、「だらしない」の形が昔から現在までずっと使われてきた、実績というプラスの価値があるからだ。*1
 おそらく方言の場合、「美しい」ものだけが「正調」と呼ばれるのだろう。
 それは、由緒は正しいかもしれないが、実体のない言葉じゃないのかなぁ。

 聞くところによると、「悪魔のささやきは、時として天使の声に聞こえる」だそうだ。ある若者が、そうおばあちゃんに教わったと言っていた。
「正しい」が声高に語られる時代は危ういのではないか。60 年ほど前に経験してるはずだが、どうもそこから学べた人は少ないようである。
 方言回帰の傾向と「正しい日本語」の侵食はリンクしているのかもしれない。だとしたら、その実情については疑ってみる必要がある、ということになる。




*1
 だらしない男女関係のことを「ふしだら」と言うが、この「しだら」である。
 期間もさることながら、現在、使われている、という点もポイント。(
)






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