東京での生活シリーズ、二発目。
秋田県は、人口千人あたりの美容院の数が日本一だ、という話を聞いたことはあるだろうか。それと絡めて「
えふりこぎ (かっこつけたがる者のこと)」なんてことも話題になるのだが。
それは、ひょっとしたら本当かもしれない、と思った。
東京での宿があるのは、ターミナルではないもののそこそこの規模の街で、駅の両側ともかなりにぎわっている。だが、床屋が無い。
別に詳しく調べて回ったわけではないのだが、うろうろして見た範囲では、なんと二軒のみ。
職場までは歩くと 20 分弱あるのだが、そこでも見つけられない。美容院はあったようだが。
もちろん、きちんと探せばもっとあるとは思うが、きちんと探さなければならない床屋、というのもどうかと。
そのうちの一軒は、普通の床屋だが 19 時で終了する。ちと忙しいので、それに間に合うように退社はできない。大分、伸びて来ていてちょっと週末まで我慢できそうに無かったので、えいや、でもう一軒に飛び込んだ。
なぜ「えいや」なのかというと、千円の店だから。どういう処遇を受けるのか想像できなかった。
それは 10 分で終わった。蒸しタオルで髪を湿らせ、鋏でバサバサっと切り、シェーバーみたいなので先を揃え、掃除機みたいなので頭に残っている毛を吸い取り。これだけ。
すばらしい。
容姿に気を使う必要を感じない俺にとっては、こういうことに金と時間を使わずに済む、見事なシステムである。
尤も、顔剃りをやってくれないので、何回に一回かは二時間弱と数千円を要求する床屋に行く必要はあるようだ。
有名なところでは、「
じゃんぼ かる」がある。
「
じゃんぼ」は頭である。一応、東北全般ということになっているが、青森メインのような気がする。
沖縄では「
らんぱち」「
だんぱち」というような表現が見つかる。おそらく「断髪」だと思う。
思うか?
「断髪」ってそんな日常的な表現だろうか。
あるいは、地域によって日常的だったりするのかもしれない。
今回、「床屋に行くこと」の表現を調べてみて気づいたのだが、「散髪に行く」という書き方がかなり多かった。
だが、俺は、「散髪に行く」と言っているのを耳にした事はほとんど無い。
あるいは、日本語 (標準語) では、「髪を切ってもらう」という表現については「床屋に行く」がガリバーで、「散髪」を含むほかの形式は「その他大勢」にまとめられてしまうのではないんだろうか。
それと関係があるのかどうか、似たような単語が色々とある。
整髪、調髪、理髪、理容。
どれも「床屋」がやることである。
これに「美容院」が加わって百花繚乱の様相。
尤も、これは皆さんご存知だろうが、「床屋」と「美容院」では、やることが法律できっちり決められているから、これは「似た単語」ではない、ということになるだろう。
「床屋」が「髪結い床」あたりから来たんだろう、ということを知っている人も多いと思うが、それでは、そもそも「床」とは何か。
それは「床店」に源がある。
「床店」というのは、そこに人のすまない簡単な構造の店、もしくは、屋台のことである。髪を切って整える職業は、そういう設備で営まれていた。それが「髪結い床」と呼ばれ、どういう事情かは知らないが、ほかの商売については使われなくなり、「床屋」で「髪結い床」だけを指すようになってしまうった、ということらしい。
「髪結い」が変化した俚言は多い。『秋田のことば (秋田県教育委員会編、
無明舎出版)』にも「
かみえ」というのが載っているが、長野に「
かみいさ」という表現があるらしい。「髪結いさん」だろうか。
よく話題にされるのが「頭を切る」系の表現。「頭なんか切ったら大変じゃん!」というあれ。
冗談を言う程度ならいいのだが:
「東北では、『
じゃんぼ かる』って言うんですよ」
「へぇ、そうなんですか」
「『じゃんぼ』っていうのは、頭のことなんですけどね」
「え、じゃ、東北では、頭を刈っちゃうんですか?!」
てな具合で、ほかの地域の方言に関する話になった途端、たとえば「頭洗う」で「頭皮だけを洗うのではなく、毛も洗っている」ということを表現しているのを棚に上げて、本気でビックリする奴がいるから困る。
正しい・正しくない、を言い出したら、「髪を切る」だっておかしいのである。自分でやるのではないのだから、「髪を切ってもらう」でなければならないはずだ。
「床屋に行く」だっておかしい。行って何をするのか、ということが表現されていない。
言語表現ってのはそんな融通無碍なものなのである。
西日本に行くと、「
つむ」のようになる。
「芽を摘む」というようなイメージだろうか。髪を切る、と言ったって、ほとんどの場合に、先の方の数 cm を切るだけで、根こそぎにするわけではない。「摘む」というのは割と正確ではないだろうか。
ここから、「
爪をつん」だりする地域もある。これなんかは本当に先っちょだけ、まさに「摘む」感じ。
千円の床屋は、内容だけでなく設備も機能的である。
床屋と別の用事を一度の外出で済まそうとすると、持ってた荷物をどうしようか、というので困ることがある。こっちは一時間もの間、イスに固定されてしまうし、それでいて寝転がったりうつ伏せになったりで、結構、体勢を変える。持ってるってわけにはいかないし、高級店は知らないが、荷物を預かってくれるところも無い。
そこの店は、なんと鏡に取っ手がある。それを開けるとそこそこの奥行きがあるスペースにハンガーまで装備されている。共通の場所に上着をかける店は多いが、この場合は、目の前にあるし、切ってもらってる間にそこをあけることは無いから、間違われるのでは、とかいう心配もせずに済む。
とりあえず絶賛しておく。
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