さて、やっと紹介できる。
今回のお題は、『
日本の星―星の方言集― (
中公文庫)』。
著者の野尻抱影は、文学者だが、星に関する著書も多い――と書くと通り一遍の紹介になってしまうので、もうちょっと身近なところで言うと、『鞍馬天狗』『赤穂浪士』の大佛次郎の兄にして「冥王星」の命名者。10 番惑星発見の折、タイムリーであろう。南アルプスの雪形を紹介したのもこの人らしい。
読み始めたのは 7 月の頭で、到底、七夕に間に合う時期ですらなかったのだが、2 ヶ月かかったのは、星座を扱った本ゆえに、星座盤を見ながら読むべきだ、と、それを買ってからわざわざ読み直したせいである。
星座盤を眺めていると、なんじゃこりゃ、というのが多数ある。
羅針盤座、帆座、竜骨座、艫
(とも) 座…この領域はスカスカである。星は点々としかない。星のない星座ってなによ、と思って調べたら、ここは昔「アルゴ座」と言ったらしい。「アルゴ探検隊の大冒険」って映画をご記憶の人もあると思うが、あのアルゴ。つまり、船の名前で、それをラカーユという天文学者が分解したのだそうだ。確かに、でかいと言えばでかい。それを言ったら、その上にある海蛇座なんて、全天の 2/3 くらいをべろーっと横切るものすごい大きさなんだが。
このラカーユが作った星座には、彫刻室座、彫刻具座、画架座 (画家ではないのだが、ひらがなで書いてある文献が多くて困る) などがある。肉眼で見える星はなくとも、その領域に大きな銀河があったりするので、そのためらしい。
じゃ、古い星座に無理が無いか、っつーとそんなこともない。子犬座は星二つだけだし、蟹座だって「どこが?」って感じである。双子座を結ぶ線は、立ち上がったカエルだし、山羊座はパンツ。
星座の名前に異称が生まれるのは、この辺に理由がある。
さて、本の記述にしたがって進めていく。
単行本の初版が昭和 32 年、という古い本なので、おそらく、これから紹介する表現の内、残っているのは一体どれだけあるものやら、という感じだ、ということは最初に書いておく。
戦時中云々という記述もあちこちで出てくるし、「関東大震災のときに見た」とかいうのまである。以下で「と言う」なんて書いてあっても、それは表現上の問題であって、現在進行形で使われている、という意味ではない。
そもそも俺は、星座や星の俚言形を耳にしたことは一度も無い。
まずは、なんと言っても北斗七星。
俺の世代だと、英語の教科書で“The Big Dipper”ってエピソードをやった人もいると思うのだが、この本でも「
ひしゃくぼし」という呼び方が紹介されている。二十数県に上るらしい。「鉤」に見立てるのは自然だし、したがって「鍵」にもなる。
意表をつかれたのは「舵」である。柄杓の、水を入れる部分を下にして立ててみると、船の後ろについている、方向を決める舵に見える。
ほかに、柄から 5 つ分で船、というのもある。
冠座。あんまり有名ではないと思うが、北斗七星の柄から東方向にある。
くるっと丸く並んでいるので、車、太鼓、井戸端、指輪、籠、巾着、蹄、竈など、色々と名前がつく。「
くどぼし」という言い方があるが、関西では「竃」のことを「
おくどさん」などと呼ぶ地域がある。もちろん、「
へっついぼし」というのもある。
首飾りに例えられるのも当然。
前に、音階のフラットを「嬰」というのはなぜだろう、という疑問を上げたことがあったが、「嬰」には「首飾り」という意味がある。「女」の周りに「貝」があることでもわかる。中国の音階の呼び方らしい、というところにまではたどり着いたのだが、そこで止まっている。
蠍座。
クイっと曲がってるので、釣り針に見立てる呼び方がある。
一番明るいアンタレスと、その両端の星を組み合わせて、篭を担いだ人に例えられたりもしている。
で、売るもの (もしくは作物) が多いと両端の篭は下がるわけだが、そういう風に見えるかどうかで作況を占うということはあちこちであるらしい。それって当たるの?
これについては、「親を担いでいる様子」ということで、「
おやかつぎぼし」「
おやにないぼし」という呼び方があるそうだが、これは相当に奇妙な感じがする。変だよね、親を両脇に担ぐのって。
が、本の後ろの方で、そういう仏教説話があったらしい、ということで一応の解決を見る。海の向こうではあったことなのかもしれない。
七夕。
これについては、名前の非対称性が面白い。
難しくは、牽牛と織女である。牛飼いと、機織娘。えらい人の娘をつかまえて機織娘はどうかと思うが。
わかりやすく言うと、彦星と織姫。これ、男の方から職業が脱落している。本では、「彦星」ってのは単に「男の方の星」だとしている。
この二つをまとめて「
たなばた」と呼んでいる地域もあるらしい。
北極星。
ずばり、「
ひとつぼし」。
ついでなので並べてみると: