Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第448夜

Baby, baby



 赤ん坊の正式名称って何だろう。
 正式名称っていうのも仰々しいが、つまり、改まった場面で赤ん坊に言及するにはどういう単語を使えばいいのか、ということだが。
「赤ん坊」が俗語だとは思わないが、「ん」は撥音便だろうと考えられるので、正式名称でもないような気がするのだ。まして「赤ちゃん」は。
 辞書の定義を見ると、言い換えとして「あかご」が出てくる。これだろうか。
 児童福祉法では、「乳児」ということになるらしい。一歳未満を指す。そこから小学校に上がるまでが「幼児」、あとは十八歳まで「少年」。学校教育法では、小学生の年齢層が「児童」となる。
「新生児」は医学用語だそうだ。生後 4 週間までを言う。

 ついでに言うと、「学生」の使い方は多くの人が間違っている。これは、大学生以上を指す言葉で、高校生は含まない。高校生は「生徒」である。
「スケバン刑事」でよく「学生刑事」という表現を使っていたが、ファンながら、これがとても気になっていた。*1

「嬰児」なんて単語もあるが、辞書では「乳飲み子」という言い換えが行われている。「嬰」は「首飾り」「めぐらす」という意味だが、音楽でシャープがついた調も「嬰ハ短調」などと使われる。なんでシャープが「嬰」なのかは不明。
「赤ん坊」が、色が赤いことからきていることからつけられたものだということは知っていると思うが、では「みどりご」は。チアノーゼを起こしても緑にはならないが。
 これは、「芽」からの連想。

 なんで急に赤ん坊の話をしているかというと、同僚に女子が誕生したから。
 おめでとうさん。ここ読んでるよねぇ。

 各地でも、「あか」「あっか」など、「赤」系統の単語が目立つ。
 あと「おぼこ」系。大辞泉には「産子 (うぶこ)」からか、とある。これ、「おばこ」と同系なんだって。知らなかった。
ぼぼ」が新潟近辺にある。子供の誕生と無事な成長を願う「猿ぼぼ」って民具も飛騨にある。産まれた赤ん坊を見に行く、出産祝いをする、という意味の「ぼぼみ」という単語まであるから驚く。これも「おぼこ」系らしい。
ねんね」もある。「寝る」から来ているらしいが、「おぼこ」にしろ「ねんね」にしろ、若い女性を指す言葉となっているところが興味深い。
 ちなみに、「猫」も「寝る」から来ている。
 秋田・岩手の「びっき」もなんだかすごい。これ、「蛙」のことなんだよ。手足曲げてるところなんか、まぁ蛙ってば蛙だけどさ。人の子供つかまえて、蛙呼ばわりはできねぇよなぁ。猿みたいだ、というのはたまに聞くが。
 赤ん坊に相当する単語が無くて、「わらし」でカバーする地域もある模様。

にが」ってのもある。『語源探求 秋田方言辞典 (中山健、秋田協同書籍)』によれば、子供の泣き声を表す「いがいが」という語からきているのだそうだ。「いがいが」は古語辞典に載っている。辞書によっては、「いかいか」になっているかもしれない。
 それにしても、「にが」で検索すると「なにが」とかごく普通の単語がやたらと引っかかって、本来の「にが」がなかなか見つからない。Web での調査は諦めた。
 泣き声と言うと、関西の「ややこ」もそうらしい。

 英語の“baby”だが、“babe”が古い形なんだそうだ。歌なんかで“baby”ではなく“babe”を使っている例があるが、これはアメリカ式なんだとか。この“babe”は赤ん坊ではなく恋人やなんかに対する呼びかけだが、どういう経緯でこうなったんだろう。単に“y”を落としたのか、目新しい表現を探してて古い表現を見つけ出したのか。
 これも、男が女を言う表現だなぁ。

 赤ん坊はかつてカゴに入れられていた。ゆりかごではなくて、本当にカゴ。子供がいたって農作業は休めないので、田んぼや畑の横に置いとくしかない。暖かくして寝かせておくわけだ。
えちこ」って表現が見つかったが、秋田では「いづめ」と呼ばれる。
 これは「飯詰」で、読んで字の如し、飯を詰めておく容器である。まぁ、おひつ みたいなもんだと思ってもらえばいいが、ご飯が冷めないように藁かごでくるんでおくわけだ。それをそのまま転用したもの。
 秋田って、「蛙」といい「飯詰」といい、身も蓋も無いなぁ、しかし。

ぼぼ」関係で見つけたのだが、「松かさ」のことを「まつぼぼ」と言うところがある。「松の赤ちゃん」というネーミングかと思ってほほえましくなったが、あるいは「松ぼっくり」の変化したものかもしれない、と思って調べて見てビックリした。
「松ぼっくり」って「松ふぐり」の変化したものなのである。「ふぐり」については各自調べてください。
 どうしてもあっち方向に行くんだなぁ、この話題は。

 そんなわけで、今回は羅列で終わった。
 俺には、子供が生まれる、ということに対する実感がないからである。発想が広がっていかないのだ。
 昔、孫と特撮番組のチャンネル争いをする、というのが夢だったのだが、どうやら無理っぽい。
 技術革新で、「チャンネル争い」が消えてなくなりそうだからなぁ。ははは。




*1
 英語の“pupil”と“student”の違いを連想した人もいると思う。英米で違いがある、というのは知らなかった。(
)





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