久しぶりに東京へ――嘘です。10 日ぶりです。今月は、出張込みで 4 往復。正直、体が辛い。
学生時代にお世話になった井上史雄先生が今年度で退官、ついては最終講義がある、とのことで馳せ参じたわけ。
東京外大は数年前に移転していて、どうなってるのかを見物するいい機会だ、というのもあった。
本来なら、その後の祝賀会にも参加するべきなのだが、先生じきじきに、遠くからの人は無理に来なくてもいい、というメールももらったことだし、久しぶりに学生当時の友人たちとも会いたい、と思ったので、お言葉に甘えることにした。なんか気の遣い方が間違ってるかもしれんな>俺
京王線の飛田給
(とびたきゅう)*1 駅から歩いて 20 分。
最寄駅は西武線にもあるのだが、大差ないらしい。
移転前も、どこの駅から歩いても 15 分以上、という場所だった。そういうところにしか立地できない学校なのかもしれない。
流石に各停しか停まらない駅だけのことはある。寂しい。目の前に味の素スタジアムがあるので、試合のときは混むのだろうが。それと学校の行き帰りが重なったらたまらんな。
コンビニが 2 軒、隣同士だったが、大丈夫なんだろうか。それとも試合特需があるから平気なのか。
あるかな、と思ってググってみた。地元方言集。対象は、学校所在地の
府中と、飛田給駅のある
調布。
ここは多摩だから、あるとすればたくさんあるのではないか、と思ったがそうでもない。ただ、広島の
府中を除外する作業があるので、その途中で見落としてるかもしれない。
祭りに絡めた府中近辺の言葉の一覧がある。
Google でヒットしたのだが、公開はしていないらしいのでリンクもしない。
助動詞の「べ」について言及があった。「京都へ筑紫に関東べい」が生きている。
調布については見当たらなかったが、「
東京都内水面漁業調整規則」というのがひっかかった。
*2
規則の中に堂々と「方言」って書いてあるとは。
なお、「
がちや網」はこの規則以外に用例が見当たらないが、「
四手網」の方は全国的に広がっている模様 (なんと読むのかは知らない)。これに付随する「
あじ網」は、確かに関東に偏っているようだが。
水がらみだが、武蔵野には湧水がいくつもあり、それを「
ハケ」と呼ぶ由。
風が冷たい。マフラー持ってくればよかった、と思う。秋田衆が情けない。
前にも書いたかもしれないが、なんか東京の寒さって救いようがないんだよな。ただひたすら寒い。雪の有無が関係あるのか知らんが。
最終講義の後、友人達と飲んだのだが、去年の暮れ、東京でちょっと雪が積もったとき。車が多数、立ち往生している中で、クラクション鳴らしまくりのうるせぇ車がいたので、よく見たら秋田ナンバーだった、という話を聞いた。すまん。でも、ノーマル タイヤで雪の中に出ちゃいかんよ、やっぱり。
俺はおそらく、その席では秋田弁風イントネーションおよびアクセントで話していたと思う。酔ってもいるし、会うのは卒業以来、というのもいたが、いわゆる「気の措けない」仲間達なので、どうしてもそうなる。函館市、狛江市、旧浦和市というメンバーの誰もそれを指摘はしなかったが。
こういう状況を「文体が低い」と言うと思ってきたのだが、改めて調べて見ると、用例皆無。俺の文章しか見当たらない。あれれ。
語彙や文法が変わらないのは、その辺にストッパーがあるからであろう。本格的に通じなくなるからな。
井上先生が近年、提唱している経済言語学。『
日本語の値段』や『
日本語は生き残れるか -経済言語学の視点から-』の感想を書いたホームページやブログは多数見つかる。やはり大きな関心を呼んでいるようだ。
最終講義で配られたレジュメには、東京都心部のデパートの案内表記に使われている外国語に関する資料があった。10 年間の変化を見ることができるようになっているのだが、なくなっているデパートがチラホラある。
これは、方言調査をしようと思っても集落そのものがなくなっている、というような事態と重ね合わせることができる。デパートの倒産や閉店は経済的な事象だが、それだって言語活動と同じで、人間がやっていることなので、そこに全く関連がない、ということはありえない。
経済言語学は、人が、経済に影響を受ける形で自分の言葉を変容させていく、ということを見ていく学問であって、「なんでも金で計る」ということではない。
「言語に貴賎/優劣の区別はない」というのは、言語そのものについてはその通りだが、それを使う人にとっては、経済活動や経済情勢はとても無視できるような事柄ではない、ということである。
そこを理解しようとしないのは、現実から目を逸らし、結果的にある言語を殺すことに荷担することだ、と思うのだがどうか。