2004 年も終わろうとしている。
と打ち込んで見て気づいたのが、今は 21 世紀なのだった。ずっと遠い未来のことだったのだが、それが現実になってからもう 4 年も経つのかぁ…。
さて、年末の方言。
このテーマで書こうと思ったのは、「
おことうさんどす」という表現を目にしたから。中旬のニュースだった。
祇園で舞妓さんが、師匠の家をたずねて、一年の礼を言い新年の挨拶をする、という行事があるらしい。これが「事始め」。そう、歳末の行事ではあるが、すでに新年なのだった。まぁ、実際には、これを契機に暮れの諸々の作業を始める、ということらしいのだが。
で、この辺りを境目に、「
おことうさんどす」という挨拶が使われるようになる。漢字では「
お事多さんどす」となるそうだ。やること多くて忙しいっすねぇ、ということ。つまり、年末限定の挨拶らしい。
今では京都の冬の風物詩になってしまっているが、「事始め」そのものは江戸でも行われていたらしい。
ついでだからここで書いてしまおう。
「
おこしやす」と「
おいでやす」は、どちらも「いらっしゃいませ」という意味だが、「
おこしやす」の方が丁寧。
「舞妓」と「芸妓」は別。まず「舞妓」で、数年の経験をつんで、20 歳頃に「芸妓」になる。
この世界には「
ごはんたべ」という言葉がある。客が舞妓や芸妓と文字通り飯を食いに行くことだが、その間の経費は一切が客の負担となるほか、「お花代」も必要。つまり仕事なんだが、少なくとも外見上はデートみたいなもんなので、客が「
ごはんたべ」を許される (女将の許可がいる) のは、ちゃんとした客だと認められたということである。
「大掃除」の俚言形があるかな、と思って探したのだが見当たらなかった。いや、あるにはあったのだが、一例だけ、というもので裏が取れないので、ここでは紹介しないでおく。「餅つき」もなかったなぁ。
『秋田のことば (秋田県教育委員会編、
無明舎出版)』では、「
たはめぁ」という語が見つかった。年末に寺に納める米、だそうだ。托鉢の固定化したものか。「打飯米」と書くらしい。
この語自体を検索してみたら、どうやらお寺用システムの紹介と思われる
ページが見つかった。
しょうがないので一足早く年を越える。
「
やせうま」は、お年玉のことである。これも『秋田のことば』から。
なんで馬なのかについては、馬が引き出物だったことの名残とあるが、『語源探求 秋田方言辞典 (中山健、秋田協同書籍)』によれば、中心に穴の開いた銭を松葉に通して、それを子供に与えたのだが、銭の間から葉っぱが出ている様子を馬のたてがみに例えたもの、とある。
いずれ、「やせ」は「痩せ」で、小額であることを指したものらしい。今はとても小額とはいえないようだが。
ここから、お年玉を与えることを「
馬コさ乗せる」、もらうことうを「
乗る」と言ったこともあるそうな。
「
まっこ」などの、「馬」系の形は北日本で見られるようである。
さらに 2 週間。
「小正月」って一体、なんだ。
現在の太陽暦では、満月から次の満月までを一月とする。それに対して、太陰太陽暦 (旧暦) では新月から新月までが一月となる。で、新月の日を「大正月」、満月の日 (つまり月の真ん中) を「小正月」とした。太陽暦に変っても、一月の真ん中が小正月、という形式が残ったわけ。
*1
これが定着すると、正月 (大正月と言ったりもする) の大騒ぎが終わって、主婦がゆっくりできる時期、ということで「女正月」と呼ばれたりすることになる。
このタイミングで災厄をはらったり、祝福を受けたり (
大辞林には「小正月の訪問者」という見出しがある。なまはげもこれに含まれる)、と意外に重要な祭りのようだ。
で、正月のお飾りを燃やす祭りがある。難しくは「左義長」と呼ばれるが、「
どんど焼き」とも言う。
「言う」と断言してはいるが、実は「ど」と「と」の組み合わせのバリエーションがある。「
どんど焼き」「
どんと焼き」「
とんど焼き」「
とんと焼き」、更には「
どんどん焼き」というのもあったりするので、興味のある人は検索してみるとよい。
秋田は急に雪が降ってちょっとした騒ぎである。
雪が積もるのが暮れ近くになってしまった、というのはやはり温暖化の影響なんだろうか。
滅亡に向かう年越しであることを思いつつ、2004 年の分はおしまい。
帰省の都合で、再開は一日遅れの 2005/1/3.